脇本城の感想
脇本城は知る人ぞ知る!男鹿半島から日本海を臨む東日本屈指の規模を誇る山城で、その広さは150haに及ぶ想像もつかないぐらいの大規模な山城で、標高約100mの丘陵を活かし整備した土づくりの城で石垣は存在していません。
私が脇本城を知ったのは安東愛季(あんどうちかすえ)の存在で、この脇本城を居城にしようと改築を行っていたみたいです。
安東氏は元々安部氏といい、その昔、平安時代の頃は陸奥国(青森・岩手・宮城・福島)を支配した安部氏と出羽国(秋田・山形)を支配していた清原氏の2大勢力があり、『前九年の役(前九年合戦)』は、平安時代後期に陸奥国で起こった安倍氏と朝廷側の戦いです。1051年ごろに始まり、源頼義・義家父子が清原氏と組んで安倍氏を滅ぼす大戦がありました。滅ぼされた安部氏ですが鎌倉時代から平安時代の頃の安部氏→安藤氏と名乗る者が津軽国から出てきており、この安藤氏→安東氏となったと想像しています。。。確かに、津軽国(現在の青森県南津軽郡藤崎町)にある藤崎城には『安東氏発祥の地』としてありました( `ー´)ノ
安東氏はこの津軽国から始まり出羽国の北部辺りまで勢力を拡大していたと思われます。安東氏もいくつかの系に分かれていましたが、津軽氏や南部氏との戦いを繰り返しているうちに、檜山系となり檜山安東氏第8代目当主となる安東愛季(あんどうちかすえ)が檜山系や湊系の安東氏を統一し、安東氏の戦国大名化を成し遂げた智勇に優れた人物が安東愛季(あんどうちかすえ)です(^◇^)
安東愛季の居城は元々檜山城でしたが、更なる勢力拡大を目指し安土桃山時代の1577年にこの脇本城を大規模な修復を行って居城とした城であるといわれています。
脇本城の築城は不明なのですが1334年頃と云われており鎌倉幕府側勢力が築いたようですね。その頃は、まだまだ今の様に大規模な城ではなかったじゃないかと思います。
現在は内部に菅原神社や本明寺や萬境寺などがあり、中央を古来から男鹿半島への道であった『天下道』が通っていて曲輪がそれを挟み込む形となっている様です。竪堀や土塁、虎口が配置されていて、中心部は連郭式が採用されている山城です(`・ω・´)ゞ
脇本城画像ギャラリー
男鹿半島の国道101号線沿いにあり、『菅原神社 一の鳥居』を目印にすると『脇本城』の案内板がデカデカと知らせてくれます(●^o^●)




脇本城案内図

ここからギリギリまでクルマで上って行きます! だって熊が怖いもん♪



脇本城説明版1

菅原神社です(=゚ω゚)ノ 進みます♪


『脇本城跡案内所』に到着!!! ここから脇本城を攻めます♪








脇本城説明版2
凄い規模だなぁ~((+_+))





脇本城赤色立体図
赤色立体地図がめちゃくちゃわかり易い♪ すげぇぇぇ~スケールですね(≧◇≦)


天候が悪くて雨が降ったりやんだり・・・朝霧も風もあって神秘的な感じです(◎o◎)



【動画】中央部の曲輪から
【動画】 本当に幻想的でリアル天空の城ラピュタです!((´∀`*))ヶラヶラ



屋敷跡へ・・・




このまま進めば西側の土塁です



西側土塁











南端の曲輪
なるほど!!!南端の曲輪なんですね~♪



馬乗り場
馬乗り場!!! 脇本城がめちゃくちゃデカイから城内で馬乗りが出来たのかなぁ~?



空堀
空堀!!!( `ー´)ノ





主郭部
本丸に到着ですかねぇぇぇヾ(≧▽≦)ノ








土塁・井戸跡
土塁と井戸です!!!







館神堂
館神堂ですわ(`・ω・´)ゞ



脇本城からの眺望(城下町)
こっから城下が眺めれます♪



東端の曲輪
東端の曲輪です










脇本城情報
| 築 城 | 不明(鎌倉時代?) |
| 城 主 | 安東氏、結城氏、日根野氏、阿部氏、三浦氏、松平氏、加藤氏、鳥居氏 |
| 住 所 | 秋田県男鹿市脇本脇本七沢外 |
| 種 別 | 山城 |
| 廃 城 | 不明(1600年代初期?) |
| 特 徴 | 国指定史跡、続日本100名城 ※続日本100名城のスタンプ設置場所は史跡脇本城跡案内所にあります。(無人) 冬季期間は積雪のため「道の駅おが・オガーレ」にスタンプが設置されています。 |
| 入場料 | 無料 |
| 営業時間 | – |
| 駐車場 | 有り(無料) |