江戸時代

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  • 2023.08.19

九度山真田庵(和歌山県)

九度山真田庵の感想 信州長野や群馬のイメージが強い真田氏ですが、真田昌幸、幸村の親子は関ヶ原後ここ九度山に幽閉されて昌幸はこの九度山で生涯を閉じています。個人的に真田昌幸は黒田官兵衛と並ぶ優秀な戦国時代の軍師(策士)だと思っており、とても好きな武将の一人です。幸村はここ九度山から出奔し「日の本一の兵」と呼ばれ大阪夏の陣で活躍したことで有名ですね。あの時、徳川が打ち取られていたら・・なんて考えるのも […]

郡山城/大和郡山城(奈良県)

郡山城/大和郡山城の感想 藤堂高虎が縄張りしただけあって、なかなかの石垣を有する城です。 郡山城は郡山衆と云われる国人たちが築いた城だった様で、筒井順慶が筒井城から郡山城に移ってから(筒井城から郡山城まで約4㎞ぐらいかぁ)改築されていったんだと思います。筒井順慶が亡くなると秀吉のもとに人質に出されていた筒井定次が家督を相続し郡山城の城主となります。長年、秀吉のもとに人質に出されていた筒井定次は順慶 […]

和歌山城/虎伏城(和歌山県)

和歌山城の感想 和歌山を代表する城、和歌山城です!!!!元々は虎伏山(とらふすやま)に築かれた平山城だったため『虎伏城』とも呼ばれていたようですね。 和歌山城のきっかけ?は、豊臣秀吉時代に弟の豊臣秀長が大和一国の国主となり入国したことからスタートするみたいです。豊臣秀長は当時、大和郡山城を本城としていたため、和歌山城には重臣の桑山重晴を城番として置いたことがスタートみたいですねぇ~(o^―^o) […]

  • 2023.08.13

田辺城/田辺城水門(和歌山県)

田辺城/田辺城水門の感想 田辺城はすでに残っていませんでした。田辺城が無い代わりに当時を感じさせる『田辺城水門』が残されており石垣や城内への用途など当時を思わせる水門跡です。 田辺城は関ケ原の合戦後、紀伊国に浅野幸長(よしなが)が入国し、その浅野氏の重臣である浅野氏重が『湊城』を築いたとされています。その後、1619年(元和5年)に福島正則が改易されると、浅野氏は安芸広島42万石に加増移封となり安 […]

伏見城/伏見桃山城(京都府)

伏見城/伏見桃山城の感想 元々は豊臣秀吉の隠居先として築かれた城で、伏見指月(現在の京都市伏見区桃山町泰長老あたり)辺りを築城したことから、『指月伏見城』と呼ばれていたらしく、その後、2~3回新設。改築されながらいろんな呼び名で呼ばれ、共通していたのが『伏見』だったからまとめて伏見城って云うのかもしれないって俺は思っています!大爆笑 伏見城が有名になったのは、豊臣秀吉・徳川家康がこの伏見城を居城と […]

白井城(群馬県)

白井城の感想 白井城は群馬県渋川にある城で、山内上杉氏の家宰であった長尾景仲が築いた城と言われ、この長尾景仲は「関東不双の案者(知恵者)」と称され、孫には北条早雲と同じく下剋上の雄のひとり長尾景春や、外孫には名将太田道灌がいるなど、なかなかの人物であったようです。 白井城は利根川と吾妻川の合流地点に突き出すような台地に築かれた城で、東西800m・南北1200mの規模の城で、中央に本丸を構え、二の丸 […]

沼田城(群馬県)

沼田城の感想 戦国時代に越後の上杉、相模の後北条、そして甲斐の武田が争った要衝の地であり、軍事上の重要拠点として『関東平野への入口』とされていたため、多くのドラマが生まれた城です。 築城は鎌倉時代からこの地で有力な国人であった沼田氏であった、第12代当主 沼田万鬼斎顕泰が築いたとされており、当時は沼田の倉内の地に城を築いたことから『倉内城』とも呼ばれていた様です。 沼田城が激戦の舞台に躍り出るのは […]

鳥羽城(三重県)

鳥羽城の感想 めっちゃ豪雨の中、心を折られながら行ってきました♪ 鳥羽城です!((´∀`*))ヶラヶラ 鳥羽城は織田信長の配下で活躍し、その後、豊臣秀吉の家臣であった九鬼嘉隆が築いた城とされ、海に面した標高40mの城山に築城されれ海側に大手門を設けられた珍しい城だったみたいです。築城主の九鬼嘉隆は織田信長配下の水軍となり3万5000石を領した武将で、本願寺との戦の際に一度毛利水軍に惨敗したものの、 […]

高崎城(群馬県)

高崎城の感想 高崎城です!正直・・東門(乾櫓)しか残っとらんとです!( ノД`)これは俺の勉強不足で知らんかったんですが、高崎城ってあの徳川四天王のひとり井伊直政が築いたお城みたいですね!(勉強不足ですんまそーん♪)驚きました!? 小田原征伐後関東に国替えされた徳川家康が、当初、箕輪城に送り込んだ井伊直政が箕輪城主となっていたのですが何かあったんでしょうね?笑箕輪城から新たに築城したのがこの高崎城 […]

相馬中村城/中村城/馬陵城(福島県)

相馬中村城の感想 相馬中村城です。戦国時代から江戸時代にかけて相馬氏の居城として長く続き、中村藩の中心的役割を果たしていました。その頃は馬陵城(ばりょうじょう)と呼ばれており、その頃から馬を連想させるお城だったんですね。 南北朝時代に中村氏によって築かれた(当時は館かな?)とされており、小高城の相馬盛胤が勢力を拡大させると、次男の隆胤が相馬中村城に入城した様です。伊達氏や田村氏との南陸奥での戦いが […]

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