- 2024.10.29
- 入場料無料,
夜須城 / 下夜須城(高知県)
夜須城 / 下夜須城の感想 夜須城(下夜須城)は、平安時代末から鎌倉時代にかけての源氏方の武将であり、源平合戦の壇ノ浦の戦いで敵方の岩国兼秀・兼季兄弟を生け捕りにするという功を立てた、夜須行宗(行家とも???同一人物???)が築いた城だと云われています。夜須川東岸に横たわる標高40mほどの丘陵に築かれており、またの呼び名を三つ城『みつしろ』とも云うみたいですね~((´∀`))夜須城(下夜須城)は長 […]
主に奈良時代〜平安時代に築城、存在した武将、大名などに関するものを表示しています。
夜須城 / 下夜須城の感想 夜須城(下夜須城)は、平安時代末から鎌倉時代にかけての源氏方の武将であり、源平合戦の壇ノ浦の戦いで敵方の岩国兼秀・兼季兄弟を生け捕りにするという功を立てた、夜須行宗(行家とも???同一人物???)が築いた城だと云われています。夜須川東岸に横たわる標高40mほどの丘陵に築かれており、またの呼び名を三つ城『みつしろ』とも云うみたいですね~((´∀`))夜須城(下夜須城)は長 […]
那須与一の墓の感想 全国で約六ヶ所(もっとあるのかもしれませんね)あると云われている源平の合戦で活躍した『那須与一の墓』が栃木県の那珂川町(なかがわまち)恩田(おんだ)の地にありました。 那須与一は死後、京都の即成院(そくせいいん)に葬られましたが、分骨され那須の地の福原玄性寺(げんしょうじ)に移され、那須与一公とその一族のために供養碑を建てられたものと伝えられています。 那須与一の墓画像ギャラリ […]
足利氏宅跡(鑁阿寺)の感想 足利義康を祖とする足利氏の館跡に行って来ました。鑁阿寺(ばんなじ)として本堂が国宝に指定されており、途中で修繕されているとのことですが、1299年に建てられたとのことです。震災など地震もありながら今でも残っていることが奇跡に感じます。今後も大事に残してほしいですね。この足利氏館は義康の息子である足利氏2代目の義兼によって1197年に建てられたとのことです。この義兼の妻は […]
真田氏発祥の地の感想 天徳寺内にある真田城のすぐ側に『真田発祥の地』があります。 相模国の真田氏は、相模三浦氏一門である岡崎城主の岡崎義実の嫡男義忠が大住郡真田の地に本拠を置き真田与一義忠と名乗ったのが真田城の起源であるり、相模真田氏の発祥となっているみたいです。石橋山の合戦において、源頼朝軍に参陣し、源頼朝軍の軍勢300余騎は大庭景親の平家軍3,000余騎が石橋山で夜中に合戦となり、真田与一義忠 […]
真田城の感想 相模岡崎城からクルマで約10分(徒歩だと1時間ぐらいかな?約3.6㎞)の場所にあるのが『眞田城』です。我々の中では『真田氏』と云えば信州上田の真田氏なのですが、この相模国にも真田がいたんですね~調べると、この真田は相模岡崎城の三浦氏の流れの様で、岡崎義実(義実は三浦義明の弟)の子の岡崎義忠がこの真田の地に移り住み、岡崎氏から真田氏(真田・眞田・佐奈田・佐那田・実田とも呼ばれているので […]
足利城(両崖山城)の感想 藤性足利氏の初代、足利成行(あしかがしげゆき)のお城になります。築城はなんと西暦1054年と1000年以上も前に築城されたお城。両崖山は高さは258.6mとそれほど高い山に感じませんが実際はかなりの険しい岩山の上にあるお城になります。遺構的なものは本丸以外あまりよくわからないですが、二の丸、馬場、武者走りなどがあるようです。この足利城は戦国時代には足利長尾氏のお城として使 […]
土屋一族の墓 / 土屋氏発祥の地の感想 土屋城から少し下ったところに『土屋一族の墓』と『土屋氏発祥の地』があります(〃艸〃)ムフッ 土屋氏は、鎌倉幕府の御家人として活躍した土屋弥三郎宗遠らしく、この地域(中村郷)を支配していた中村宗平の三男みたいですね。土屋弥三郎宗遠は源頼朝に厚い信頼を持たれていた武将だったらしいです。運命が大きく変わったのが1416年(応永23年)に起きた『上杉禅秀の乱』でした […]
新羅三郎義光公御菩堤所の感想 『新羅三郎義光公御菩堤所』は1127年、甲斐源氏の始祖である新羅三郎義光(源義光公)の菩提を弔うためにその子義清によって創立された菩提寺です。当初は天台宗のお寺で高根町にあったようですが、1430年に現在地に移転し曹洞宗に改宗したようです。現在の場所を説明すると中央自動車道須玉バイパスから国道141号を清里方面に上ってすぐ左側に見えます。甲斐武田氏のスタートとなった […]
若神子城の感想 若神子城へ行ってきました。この周辺は武田氏発祥の地とも言われている地域で、武田氏の祖と言われる、源義光(新羅三郎義光)が築いたと言われているお城が若神子城になります。武田氏の流れとしては、源義光→2代目源義清→3代目源清光の時に逸見氏(へみ)を名乗ります。→4代目信義になり、武田神社で元服し武田信義を名乗るようになり武田氏が成立します。若神子城は棒道と佐久往還が分岐する要地で、信濃 […]
鬼ヶ城の感想 鬼ヶ城に遺構は無いと思って訪問してしまい後になって鬼ヶ城本城に遺構があることを知りました。世界遺産や国の史跡になっていることもあり、事実というより伝説的な話のお城だと勘違いしてました。普通に鬼ヶ城を検索すると坂上田村麻呂が海賊を倒した御伽話のような話しか出てこなかったので有馬和泉守忠親が隠居城として鬼ヶ城本城を築いていたことを後日知りました。次回は松本峠から鬼ヶ城本城に登るようにしま […]