CATEGORY 奈良時代〜平安時代

主に奈良時代〜平安時代に築城、存在した武将、大名などに関するものを表示しています。

長尾定景一族の墓(神奈川県)

長尾定景一族の墓の感想 長尾定景一族の墓へ行ってきました。長尾定景は長尾氏二代目になるのですが、父は初代長尾氏の長尾景広になります。この長尾景広が現在の横浜市栄区長尾台あたりにあった長尾荘をもらったことで長尾氏を名乗るようになります。長尾定景一族の墓に行きたかった理由ですが、個人的に好きな武将の上杉謙信の祖先になるので一度行きたいと思っていた場所でした。上杉謙信は上杉家を継ぐ前は長尾景虎と名乗って […]

村岡城/高谷砦(神奈川県)

村岡城/高谷砦の感想 村岡城は現在村岡城址公園になっており、住宅街にある普通の子供が遊んだりできる公園になっています。遺構らしきものはほとんどなく村岡城の説明板などで城跡だったのがわかる程度です。公園内にある説明を読むと、10世紀に桓武平氏の平良文(村岡五郎良文)がこの辺りに荘園を開いたと書かれていてこの城跡だったかまではわからないですが、この辺りに館などが築かれていたものと推測されるみたいです。 […]

宮寺氏館跡(埼玉県)

宮寺氏館跡の感想 宮寺氏は武蔵七党のひとつ村山党(平氏かな?)の武士で、村山頼家の二男家平が鎌倉時代に宮寺郷の領主となって居館を構えて宮寺氏を称したとされるみたいですね。1333年の鎌倉幕府の滅亡から南北朝時代初期にかけて、新田義貞に仕えた加納下野守なる人物がこの宮寺氏館に拠ったと伝わっています。武蔵七党と呼ばれた小規模武士集団は鎌倉幕府開設以前から源氏棟梁との関係が深く、源頼朝の父親、源義朝が関 […]

  • 2026.01.07

高槻城/久米路山龍ヶ城/入江城(大阪府)

高槻城/久米路山龍ヶ城/入江城の感想 高槻城は摂津国高槻村にあった平城で築城は不明ですが901年~1000年頃にはあったみたいで、1874年の明治7年まで使用されていた驚きの城です!(;゚Д゚)室町時代には入江氏の居城としていたため入江城と呼ばれていましたが、織田信長に入江氏が滅ぼされてしまうと和田惟政(わだこれまさ)が入城し居城とします。和田惟政は足利義輝に仕えていたが不信を買って和田村に蟄居さ […]

清水冠者源義高終焉の地(埼玉県)

清水冠者源義高終焉の地の感想 国道16号線沿い狭山市入間川の側に『清水冠者源義高終焉の地』があります。源義高 って誰かって云うと、以仁王(もちひとおう)の号令により平家討伐のために挙兵し、平家の大軍を破って源頼朝軍よりも早く入京した、木曽(源)義仲の子です!!!木曽(源)義仲(信濃)は源頼朝(鎌倉)と関係が徐々に悪化し武力衝突寸前となりますが、一旦は和解し木曽(源)義仲は和解のしるしに息子の源義高 […]

滝の城 / 本郷城(埼玉県)

滝の城 / 本郷城の感想 滝の城は現在の所沢市(埼玉県)と清瀬市(東京都)の境(所沢市側)にあり柳瀬川の沿いの切り立った山?崖?の上にあった城だと思われます。築城者は太田氏とも大石氏とも云われており誰だがわかりませんが、八王子城の支城と云われており、当時は大石氏が城主であったんじゃないかと思います。大石氏は関東管領上杉氏の重臣で多摩地域に巨大な勢力を持った一族だった様ですが、北条氏が関東へ勢力を拡 […]

平塚城 / 豊島城(東京都)

平塚城 / 豊島城感想 平塚城は武蔵国豊島郡にあった城で、名門の豊島氏との関係が深い城だったと思われます。平塚城は一般的には有名ですが、別名を『豊島城』と呼ぶそうです(; ・`д・´) 築城の時期は定かではありませんが、豊島近義が平塚城/豊島城を築城したと云われ、源義家(平安時代中期から後期にかけての武将で、源頼朝(鎌倉幕府)と足利尊氏(室町幕府)の祖先となり名将です!)と義光・義綱の三兄弟が平塚 […]

蒲生城/竜ヶ城(鹿児島県)

蒲生城の感想 蒲生城(かもうじょう)もしくは別名で竜ヶ城(りゅうがじょう)と呼びます。鹿児島県の姶良市にあるお城で、なんと築城は1123年で平安時代に築城されたお城になります。蒲生城は蒲生氏のお城で、初代蒲生氏の蒲生上総介舜清(かもうかずさのすけちかきよ)が築城したと言われております。舜清は蒲生・吉田の惣領職として京都からやってきた人物のようです。その後、蒲生城は蒲生氏の居城として戦国時代の155 […]

大江広元邸址(神奈川県)

大江広元邸址の感想 『大江広元邸址』屋敷は、大江広元のお墓がある山の下にある明王院の向かい側、『明石橋』の交差点の所に滑川が流れていますが、その滑川沿いに屋敷があったものと思われます。 『大江広元邸址碑』にはこぉ書かれていました・・・(=゚ω゚)ノ『大江氏 奕世(えきせい:累代)学匠として顕(あらわ)る 嘗(かっ)て匡房(まさふさ) 兵法を以て義家に授く 広元は其の匡房の曽孫(ひまご)なり 頼朝に […]

伝 大江広元の墓(神奈川県)

伝 大江広元の墓の感想 大江広元は毛利元就の祖として、私とかはとても重要な人物と考えていました。(毛利元就も一時、幕府側に出す書状に大江元就と記載していたことがあります) 大江広元は京都の儒学を専門とする京都で朝廷に務める下級貴族だった中原広季の養子となったとあります。大江広元もその時は中原広元と名乗っていたようですね。途中、1216年にあらためて大江広元と改めた様です。京都にいたころ、兄の中原親 […]

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