戦国時代(室町・安土桃山時代含む)

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岡崎信康本陣跡/松尾神社(愛知県)

岡崎信康本陣跡/松尾神社の感想 徳川家康の長男、徳川信康は当時岡崎城を守っていたため、『岡崎信康』と呼ばれていたのかもしれませんね。。。確かに、岡崎衆とか岡崎城を中心とする軍隊を岡崎衆と呼んでいたと思います。 岡崎信康は長篠・設楽原の合戦が初陣と云われており、父である徳川家康の本陣からは現在の状況で歩いて『20分』先!?直線距離で約10分の標高90m・比高15mの丘陵端に布陣させたと云われています […]

徳川家康本陣跡 / 八剱神社(愛知県)

徳川家康本陣跡 / 八剱神社の感想 長篠・設楽原の合戦はとても狭い山と山の狭間で、織田・徳川連合VS最強武田軍がぶつかった場所です。。。武田勝頼が小高い丘の上に本陣を引き正面に小さな田園と連吾川(今はめちゃくちゃ小さい川)を挟んで織田軍特に鉄砲隊を総動員し、二重三重の策を築いて最強武田軍を待ち構えている向かいの小高い丘(小山?)の反対側に、『徳川家康本陣跡』があります!反対側?????????って […]

  • 2024.06.04

田代城(神奈川県)

田代城の感想 田代城は、現在の愛川中〇校と中津川の間にある城です。(何で隣に中津川が流れているのに、中津川ではなく愛川やねん!?) 田代城は津久井城を居城とした内藤氏(北条氏の家臣)が築いたとされ、田代城は内藤氏は内藤秀勝、秀行の二代と続いたとされています。。。因みに・・・二代目の内藤秀行の子、内藤定行は近くに細野城を築き、津久井城に対する支城として防衛に努めたと思われます。 田代城は・・・城攻め […]

細野城(神奈川県)

細野城の感想 築城は定かではありませんが、北条氏の家臣の内藤定行によって築かれた城と云われています。巨大な山城、津久井城は津久井氏が築いたと云われていますが、相模国を支配していた扇谷上杉の国人衆の津久井氏はその後北条氏(後北条氏)に圧され、北条氏の家臣である内藤氏が津久井城に入城し、その一族の内藤定行がこの城を築いたと云われています。 細野城は城となっていますが、個人的には砦みたいなものだったんじ […]

真田城 / 眞田城(神奈川県)

真田城の感想 相模岡崎城からクルマで約10分(徒歩だと1時間ぐらいかな?約3.6㎞)の場所にあるのが『眞田城』です。我々の中では『真田氏』と云えば信州上田の真田氏なのですが、この相模国にも真田がいたんですね~調べると、この真田は相模岡崎城の三浦氏の流れの様で、岡崎義実(義実は三浦義明の弟)の子の岡崎義忠がこの真田の地に移り住み、岡崎氏から真田氏(真田・眞田・佐奈田・佐那田・実田とも呼ばれているので […]

足利城/両崖山城(栃木県)

足利城(両崖山城)の感想 藤性足利氏の初代、足利成行(あしかがしげゆき)のお城になります。築城はなんと西暦1054年と1000年以上も前に築城されたお城。両崖山は高さは258.6mとそれほど高い山に感じませんが実際はかなりの険しい岩山の上にあるお城になります。遺構的なものは本丸以外あまりよくわからないですが、二の丸、馬場、武者走りなどがあるようです。この足利城は戦国時代には足利長尾氏のお城として使 […]

中居城(茨城県)

中居城の感想 勝手に『南方三十三館シリーズ』第5弾!!!『中居城』です(^▽^)/ 佐竹義重・義宣親子を調べてて、常陸国を治めるにあたって居城だった太田城から水戸城へ移す際に、秀吉の天下の中、未だ従わなかった常陸国の武将たちを太田城に呼び、騙し討ちで皆殺しにした(中には逃げ出せた武将もいましたが後で滅ぼされています)話が合って、その対象が『南方三十三館(なんぽうさんじゅうさんだて、なんぽうさんじゅ […]

木崎城(茨城県)

木崎城の感想 勝手に『南方三十三館シリーズ』第4弾!!!『木崎城』です(^▽^)/ 佐竹義重・義宣親子を調べてて、常陸国を治めるにあたって居城だった太田城から水戸城へ移す際に、秀吉の天下の中、未だ従わなかった常陸国の武将たちを太田城に呼び、騙し討ちで皆殺しにした(中には逃げ出せた武将もいましたが後で滅ぼされています)話が合って、その対象が『南方三十三館(なんぽうさんじゅうさんだて、なんぽうさんじゅ […]

烟田城(茨城県)

烟田城の感想 勝手に『南方三十三館シリーズ』第2弾!!!『烟田(かまた)城』です(^▽^)/ 佐竹義重・義宣親子を調べてて、常陸国を治めるにあたって居城だった太田城から水戸城へ移す際に、秀吉の天下の中、未だ従わなかった常陸国の武将たちを太田城に呼び、騙し討ちで皆殺しにした(中には逃げ出せた武将もいましたが後で滅ぼされています)話が合って、その対象が『南方三十三館(なんぽうさんじゅうさんだて、なんぽ […]

小幡城(茨城県)

小幡城の感想 出会いは偶然でした・・・佐竹義重・義宣親子を調べてて、常陸国を治めるにあたって居城だった太田城から水戸城へ移す際に、秀吉の天下の中、未だ従わなかった常陸国の武将たちを太田城に呼び、騙し討ちで皆殺しにした(中には逃げ出せた武将もいましたが後で滅ぼされています)話が合って、その対象が『南方三十三館(なんぽうさんじゅうさんだて、なんぽうさんじゅうさんやかたと呼ぶみたい)』となり、鹿島・行方 […]

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