戦国時代(室町・安土桃山時代含む)

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姫倉城/姫倉城古戦場跡(高知県)

姫倉城の感想 昔この辺は大忍荘と呼ばれ熊野新宮の領地であったが、戦国時代は安芸氏の勢力下にはいった朝倉右京の居城として姫倉城は存在していたみたいですね。。。築城はいつだかわからないみたいです(o^―^o) 姫倉城は、夜須川右岸に南北に連なる丘陵が土佐湾に突き出した先端部に位置する月見山山頂部に築かれている山城で、月見山山頂部を二段に削平して一の曲輪と二の曲輪とし、一の曲輪には低くなっているが囲繞す […]

金岡城(高知県)

金岡城の感想 案内板によると・・・((´∀`*))ヶラヶラ金岡城は南北朝が対立したとき、南朝方の大高坂松王丸らと共に北朝方と戦った『和食(わじき)孫三郎の城であった。戦国時代まで和食郷一帯を和食氏が治めていたが、境を接する安芸氏との争いが繰り返されたのち、1532年~1555年頃には安芸氏の領地となった。1569年に長宗我部の2,000騎が金岡城に押し寄せ、城を守っていた安芸国虎の重臣黒岩越前は5 […]

安芸国虎 / 黒岩越前守 / 有沢岩見守 の墓(高知県)

安芸国虎 / 黒岩越前守 / 有沢岩見守 の墓の感想 安芸城から西南に約3kmの場所に浄貞寺というお寺があります。ここを創設したのは安芸国虎の祖父、安芸備前守元親が創設されたと云われ安芸氏の菩提寺とされているようです。安芸国虎は土佐七雄のひとりとされ西の一条氏東の安芸氏として大きな勢力を持っており、安芸国虎の妻は一条房基(ふさもと)の娘とされています。 安芸国虎 / 黒岩越前守 / 有沢岩見守 の […]

安芸城 / 安芸(安喜)土居(高知県)

安芸城 / 安芸(安喜)土居の感想 長宗我部元親にとって、土佐国の西の雄は一条氏(一条兼定)であり東の雄はこの安芸城を居城とする安芸氏(安芸国虎)だったと云え、土佐国においても最大の勢力を持っていたと思われます。安芸氏の祖先は蘇我赤兄(『そがのあかえ』と呼ぶそうです。。。蘇我って・・・めちゃめちゃ古くねぇΣ(・□・;))とし古くからこの安芸の地を有する武将だった様で『土佐七雄』の一角に数えられてい […]

本山城(高知県)

本山城の感想 いよいよ本山城・・・高知県(土佐国)です(^▽^)/ 本山城は本山氏の居城で、本山氏は清和源氏の流れを組む吉良氏の一族の八木氏とか、平家の流れを組む八木氏とかとも云われており、八木氏が土着しこの土地の『本山』を名乗ったともされています。全盛期は本山茂宗(梅慶)であり5千貫の領地を有してたと云われています。本山茂宗は土佐七雄の中では最も勢力が強力だったとされ、山深い土佐北部から出て経済 […]

白地城(徳島県)

白地城の感想 白地城は四国の中央部の山間地に立地し、西の境目峠を越えると伊予国に・・・北の猪ノ鼻峠を越えると讃岐国に・・・東の吉野川を下っていくと徳島平野が広がる阿波国に・・・そして南の大歩危小歩危という難所を越えると土佐国に行ける、四国の中心地であることがよくわかります。調べてみると、白地城の大西氏は細川の流れでも小笠原(三好)の流れでもなく、白地の地の荘官だった近藤京帝が白地城を構え大西氏を名 […]

大西池田城 / 大西城 / 池田城(徳島県)

大西池田城 / 大西城 / 池田城の感想 大西池田城は、三好市池田の地にあったことから池田城、または、阿波国の最も西の地として大西と呼ばれており大西城とも云われていた様です。 承久の乱で武功を上げた小笠原長清が阿波国の守護となり、長清の息子の小笠原長経が守護代として入国し池田の地に大西城を築いたみたいです。大西池田城が位置する場所は、阿波国の最西端に位置する場所ですが、西に進めば讃岐国・伊予国、南 […]

三好長慶公生誕之地(徳島県)

三好長慶公生誕之地の感想 戦国時代に織田信長よりも最初に天下人になった武将である『三好長慶』が生まれた場所『三好長慶公生誕之地』です!すぐ近くには三好代々100年間の居城となった芝生城があります 元々は機内で政権を握る細川晴元の有力な家臣で、三好長慶の父である元長は細川晴元と敵対していた細川高国を攻め滅ぼすなど有能な重臣でもあったが、阿波国のみならず畿内の山城国にも勢力を拡大したため、主君である細 […]

芝生城(徳島県)

芝生城の感想 芝生城は『しぼうじょう』と呼びます!(o^―^o)ニコ 芝生城は三好長慶生誕の城で有名ですが、三好氏代々100年間も芝生城を居城とし勢力拡大を行ってきた城となります。三好氏は阿波国守護だった小笠原氏の小笠原義長が池田の大西城からこの地に移り住んできた時に、小笠原氏から三好氏を名乗ったため、この地と芝生城は『三好氏発祥の地』となったと云われています。(所説あるみたいですけどね???)三 […]

重清城(徳島県)

重清城の感想 重清城は1399年に小笠原長親によって築城された城と云われており、1577年に重清城の城主だった小笠原長政は、約25km離れた白地城の大西覚養の弟で、長宗我部元親に人質として出されていた大西頼包と中鳥城主の久米刑馬(川島城の川島氏と関係が深い一族とも云われているみたいです)に二人によって殺害され、一度、長宗我部に降り弟を人質に出したが三好氏に復帰し長宗我部氏を裏切ったため、長宗我部元 […]

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