大津天竺城 / 大津城 / 天竺城 / 大津御所の感想
大津天竺城は土佐守護の細川氏の流れを組むとか家臣とかと云われている天竺氏が居城とした城で覇を唱えていましたが、『応仁の乱』をきっかけに細川氏が土佐国から離れると(土佐国から阿波国、畿内へ進出したのかな???)天竺氏はその後ろ盾を失い勢力は縮小していったと思われます。1547年、当時の城主だった天竺孫十郎花氏は隣接(直線距離で約3~4㎞)の岡豊城主だった長宗我部国親によって攻められあえなく落城し以後は長宗我部氏の持ち城となりました。
1574年、戦国時代に土佐国に土着した公家の一条氏が長く土佐国の西側に覇を唱えていましたが、当時代の当主一条兼定が家臣らによって追放され(長宗我部元親の謀略だと思いますが。。。)、長宗我部元親は一条氏が支配していた幡多郡を平定すると、一条兼定の嫡男一条内政に元親の娘を嫁がせて、この大津天竺城に移し『大津御所』と呼ばさせ自らの配下で支配しました。1580年、長宗我部元親の家臣であり妹婿である波川清宗(長宗我部氏の一門とされていたが、伊予国せめで勝手に小早川氏と和陸し兵を引いたことを叱責され蟄居していたものと思われます)が謀反を企むと、一条内政もこれに加担したものと疑われたため、一条内政は殺されはしなかったものの伊予国に追放されてしまっ長ですね。。。その時にこの大津天竺城はそのまま廃城になったものと思われます。
大津天竺城は舟入川(元々は明見川だった様で藩末に整備されて今の川の名前になったとか!?)の南岸に面して東西に伸びた独立丘陵に築かれており、現在は入船川から国道195号線を渡り、更に『とさでん交通さんの線路』を越えた場所にあり、丘の上には現在主郭部に古城八幡宮が祀られていました。
道路と線路を越えて北側から階段(これが半端なくキツクて死にそうでした!(´;ω;`)ウッ…)で上ると古城八幡宮へ行けます。途中、堀切があり東西に分かれた曲輪あったりしましたね。後は若干土塁が残っており、後で知ったのですが、南東隅に虎口が残り、南下へ降りると南側を横堀と西曲輪があったようですね。。。階段で足がガクガクだった俺はそこまで気づけませんでした(´;ω;`)ウゥゥ
大津天竺城画像ギャラリー
入船川を背に、国道195号線を渡り、更にとさでん交通さんの線路を越えた場所に『大津天竺城』がありました(⌒∇⌒)
おおおおおお・・・線路のすぐ近くだなぁ~Σ(・□・;)
げげげげ!!!!!!!!!!!!!すげぇ~階段だぁぁぁ~(@ ̄□ ̄@;)!!
ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ~地獄じゃぁぁぁぁぁぁぁ~(-“-;A …アセアセ
ちょうど真ん中ぐらいで足を止め上と下を写してみました~
足ガクガクで・・・到着です・・・階段の周りには軽い土塁が築かれているのかな???
L字になっており、古城八幡宮(本丸と思われる場所)を目指します!
手前位に空堀の跡が見られますねぇ~ここで堀切して橋でもかけていたのかな???
大津天竺城 階段 【動画】
最後に・・・大津天竺城の階段の凄さを味わってほしくて、上りではなく下りの動画を撮影しました!?( ̄▽ ̄;) 皆さんで何段あるのか数えてみて下さい~笑
大津天竺城情報
築 城 | 不明 |
城 主 | 天竺氏、長宗我部氏、一条氏 |
住 所 | 高知県高知市大津甲 |
種 別 | 平山城 |
廃 城 | 不明(1580年頃) |
特 徴 | – |
入場料 | 無料 |
営業時間 | – |
駐車場 | 無し |
大津天竺城へのアクセス
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