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中国地方のお城やその武将などにまつわる場所を表示しています。

伝 毛利元秋の墓(島根県)

伝 毛利元秋の墓の感想 1552年、安芸国戦国大名の毛利元就の五男として生まれます。毛利元就の三兄弟(毛利隆元・吉川元春・小早川隆景)は有名ですが、四男の穂井田 元清(ほいだ もときよ)、五男の毛利元秋となり元秋は備後国(広島県北部)の有力国人の武将 三吉氏の出身の継室であるだった様です。 1566年に月山富田城で尼子義久が『降伏し落ちると、毛利元就の重臣の福原貞俊や口羽通良が在番しますが、どんど […]

尼子興久の墓(島根県)

尼子興久の墓の感想 1497年、尼子経久の三男として生まれます。尼子経久の長男 政久 は知力ち武力、統率力を兼ね備えており優秀な跡取りでしたが、桜井宗的(阿用城)攻めの時に不運にも討ち死にしてしまいます。次男の国久は泣く子も黙る尼子軍最強の党を率いる『新宮党』のトップとして猛将と称されます。そして三男の興久は当時勢力を拡大していた大内義興から偏諱(へんき)『興』の字を引き継ぎ『興久』と名付けられた […]

尼子清定 尼子経久の墓(島根県)

尼子清定 尼子経久の墓の感想 尼子清定と尼子経久の墓が月山富田城の麓の飯梨川を渡った正面にある『洞光寺』にあります。洞光寺は備後国高野山金尾に尼子清定(尼子経久の父になります)が1468年に開創させ、翌1469年~1488年に備後国高野山金尾から月山富田城麓に移築したと云われていたり、また、尼子経久が父親の尼子清定が亡くなったのを冥福を祈り高野山金尾から月山富田城麓に移築したとも云われております。 […]

牛尾城 / 三笠城 / 三笠山城(島根県)

牛尾城 / 三笠城 / 三笠山城の感想 もしかしたら三笠城が正しいのかも知れませんが、あえて私は牛尾城と記載させて頂きます!( `ー´)ノ牛尾氏は出雲国の有力な国人衆の一族だったらしく、尼子経久が月山富田城を奪還し出雲国に勢力を拡大し始めると、牛尾氏は尼子経久の家老(出雲国の国人衆なのに!!!凄い!!!)となりその剛腕を発揮して出雲国制覇に貢献したようです。牛尾氏は元々信濃国の諏訪神社神主家&nb […]

阿用城 / 阿与城 / 磨石城(島根県)

阿用城 / 阿与城 / 磨石城の感想 阿用城は行ってみたかった城のひとつです。尼子経久の本を読んでいると、京極氏の守護大名を支える家臣として、桜井宗的という武将が出てきます。この武将は秩序を重んじる知見者であり弓矢の名手だとも記載されていました。尼子経久が出雲国を席巻し周りの状況もどんどん変わる中、古き良き武家社会を想う桜井宗的は京極氏への想いと尼子経久への憎悪を膨らましていきます。一時は尼子経久 […]

高瀬城(島根県)

高瀬城の感想 俺の城攻め1日をぶち壊してくれた城です!高瀬城です!!!!本当に壮絶で高瀬城攻めをした後は足がガクガクになり午後の戦いに苦戦をしいられました!(´;ω;`)ウゥゥ  本当にすごい規模の山城でした!!!! 高瀬城は米原氏が築いたと云われています。米原氏は佐々木六角氏の流れを組み、六角氏14代当主六角定頼の甥である六角治綱が養子となり近江国米原荘を領したことから米原氏を名乗り始めたと云わ […]

三刀屋城(島根県)

三刀屋城の感想 三刀屋城は山陰と山陽とを結ぶ街道沿いに位置する交通上の要衝にあり、三刀屋氏は出雲国において有力な国人衆として存在しています。三刀屋氏は清和源氏満快の流れを組む伊那氏の一族らしく、その子孫が出雲国飯石郡三刀屋荘の地頭職となり、その地名から三刀屋氏を名乗ったのが始まりらしいですね。約20㎞離れた場所にある三沢城の三沢氏もそうですが、出雲国には信濃国から移ってきた人が多いんだなぁ~って感 […]

三沢城 / 鴨倉城 / 亀嶽城(島根県)

三沢城 / 鴨倉城 / 亀嶽城の感想 1305年、三沢為仲(木曽義仲の孫)によって鴨倉山に築かれ、鴨倉城・亀嶽城と呼ばれていたようですね。三沢氏は上記に記載した通り、木曽義仲の流れを組む一族ととも云われたり、信濃国の源氏の流れを組む飯島氏の飯島城の城主だった飯島為光が1221年の承久の乱で武功を挙げ、出雲国三沢荘を与えられたため移り住んだとされてもいます。この三沢荘は良質な砂鉄を採ることが出来たた […]

馬木城 / 馬来城 /夕景城(島根県)

馬木城 / 馬来城 /夕景城の感想 尼子十旗のひとつ馬木城 / 馬来城 / 夕景城です!行きたかった山城のひとつなのですが・・・結論から言えば城攻め失敗です!(´;ω;`)ウゥゥ朝6時頃に馬木城に着いたことと日にちが近い時に熊の目撃情報が2件あったこと、そして城に入っていくと何か土石流じゃないけど何かすごい勢いで流れていった跡があり、入口まで行ったのですが撤退してしまいました~( ノД`)シクシク […]

安国寺恵瓊の墓(広島県)

安国寺恵瓊の墓の感想 安国寺恵瓊(あんこくじえけい)は毛利家の外交僧であり一説では豊臣政権下では秀吉に取り立てられ大名であったともされています。(異説ありますなぁぁぁ・・・・)安国寺恵瓊はなかなかの不思議な生き様があり、もともと毛利元就が滅ぼした名門の安芸武田氏の一族だった様で、1541年に毛利元就に安芸武田氏が滅ぼされると、武田信重(これも諸説ありますが)子だった恵瓊は家臣に守られ佐東銀山城を脱 […]

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