末森城(石川県)
末森城の感想 末森城は能登国、現在の石川県能登半島の付け根にある山城です。前々から行ってみたく、たまたま金沢に行く用事があり宿泊したので、朝の4時に起床し出発前に朝駆け!山城一発勝負をやるために末森城を訪れてみました。 末森城を知ったのは、『原哲夫』先生の漫画『花の慶次』で、傾奇者の前田慶次郎が佐々成政が率いる軍15,000人で包囲された末森城を助けに行き、末森城の城主、奥村永福との友情や爽やかさ […]
北陸・新潟のお城やその武将などにまつわる場所を表示しています。
末森城の感想 末森城は能登国、現在の石川県能登半島の付け根にある山城です。前々から行ってみたく、たまたま金沢に行く用事があり宿泊したので、朝の4時に起床し出発前に朝駆け!山城一発勝負をやるために末森城を訪れてみました。 末森城を知ったのは、『原哲夫』先生の漫画『花の慶次』で、傾奇者の前田慶次郎が佐々成政が率いる軍15,000人で包囲された末森城を助けに行き、末森城の城主、奥村永福との友情や爽やかさ […]
亀山城の感想 増山城に隣接する山城、亀山城です! 亀山城は増山城の支城として存在していたんじゃないかと個人的には思っています・谷を挟んで西に位置する標高133.1mの山上にあるようで、増山城も標高が高い場所に亀山城はあるようですね!なんか不思議な感じがします~(* ´艸`)クスクス 増山城の弱点、北側を守るため神保氏が支配をしているときは、神保安芸守がこの支城に入城していたらしいです。しかし、神保 […]
増山城の感想 増山城は富山県砺波市(チューリップ祭りで有名な場所)にある山城で、越中三大山城(増山城・松倉城・森山城:共に富山県)にある堅固な山城です。 増山城の城主は神保長職で、神保氏は加賀国太田の戦いで絶望的な大敗をしてしまい、一度滅んでしまいそうになりますが、神保長職は越中大乱と云われる戦火の中で増山城と富山城を支配し勢力を拡大しますが、その後、上杉謙信からの圧力に負け徐々に衰退をはじめます […]
安田城の感想 安田城は現在の富山県富山市婦中町安田の地にある平城です。 1585年(天正13年)に豊臣秀吉が富山城に拠る佐々成政を征討するために出陣し、安田城から少し離れた(クルマで10分ぐらい)白鳥城の本陣を引き対峙します。その白鳥城の支城としてあったのが安田城とされています。安田城は白鳥城が山城と比べ井田川から水を引入れ大きな堀を有した平城です。個人的には従来の城って云うよりも館的な建物が建っ […]
白鳥城の感想 白鳥城は、呉羽丘陵の最高峰(145.3メートル)に築かれた富山平野の中央にある山城です。昔から越中における軍事重要要塞と考えられていたみたいで、上杉謙信の進軍を恐れ、今井氏・神保氏が白鳥城を居城とし防衛ラインを張っていた様です。神保氏が上杉謙信に降伏すると城は神保氏が守ることとなりますが、一向一揆衆に西側から攻められて神保氏と白鳥城は落城してしまいます。 1586年(天正13)には富 […]
北条城の感想 北条(きたじょう)城と呼びます。北条城は上杉謙信の家臣だった北条高広の城で、その昔は鎌倉幕府時代に源頼朝の重臣だった大江広元が四男季光が相模原毛利荘を貰い毛利季光となり、季光の四男経光が越後国刈羽郡佐橋荘南条を与えられ入国したことから始まります。その南条の地に館を築き毛利経光→基光(嫡男)→時元(嫡男)と続き毛利から南条の名を語っていた様ですが、時元の時代に南条(なんじょう)から北条 […]
安田城の感想 越後国(新潟県)には安田城が2城あります。安田城 (越後国蒲原郡:現在の新潟県阿賀野市)は鎌倉時代初頭に伊豆の大見氏が地頭として入国し築いた城の様で、その後、越後大見氏は安田氏を名乗ることとなり安田氏は上杉謙信の家臣として活躍したそうです。 一方、今回紹介したい安田城 (越後国刈羽郡:現在の新潟県柏崎市)は、たぶん、入国時期は大見氏と同じぐらいだと予想される鎌倉時代に、鎌倉幕府の重鎮 […]
三条城の感想 三条城は平城だったと思われ、海城っていうのはよく聞きますが、ここは川(河)城だったのかもしれませんね・・・信濃川など大きな川が流れていますから、例えば川の中州にあった城とか・・・だからこんな感じで何も残らずに碑のようなものだけがあるのかも知れません。 まぁ~簡単に言えば全然わかりませーん( ノД`)シクシク… 碑は信濃川沿いにありますが、この辺は信濃川・五十嵐川・中ノ口川に挟まれた大 […]
蔵王堂城の感想 蔵王堂(ざおうどう)城は南北朝時代に北朝方だった中条氏が本陣を構えてから砦?城?になったとされています。元々は寺院か何かだったんでしょうかね?その後、長尾為重が本格的な縄張りを行い上杉家の家臣が代々入城し、上杉家が越後から会津移封するまで続いたようです。 上杉家が移封後、越後に新たに入国したのが堀秀治が一族で秀治の弟、堀親良がこの地に入り初代蔵王堂藩の初代藩主となり居城としていたよ […]
長岡城の感想 長岡城は江戸時代初期の1616年に堀直寄によって築かれ、後に越後長岡藩7万4千石の牧野氏の居城として明治維新を迎えます。いろんなことを期待して長岡城に行きましたが・・・ 城がない・・・(# ゚Д゚) 戦後、当時日本二大石油会社だった宝田石油の本社が長岡城の二の丸にあったようで、その頃から長岡市の都市開発が進み、今は長岡城が長岡駅になっちゃって跡形もありません!(´;ω;`)ウゥゥ 悲 […]