CATEGORY 兵庫県

兵庫県のお城やその武将などにまつわる場所を表示しています。

(羽柴)秀吉本陣跡/平井山ノ上付城跡(兵庫県)

(羽柴)秀吉本陣跡の感想 三木合戦の際に秀吉が本陣として使用した陣跡になります。平井山ノ上付城跡(ひらいやまのうえつけじろあと)とも呼ばれているそうです。三木合戦は秀吉を離反した三木城城主の別所長治を討伐するための戦いになります。案内板には「天正6年(1578)7月、織田信長の長男、信忠が三木城を支援する神吉城や志方城(ともに加古川市)を攻略した後、築城したとされている。8月に羽柴秀吉が入ると、1 […]

竹中半兵衛陣所跡(兵庫県)

竹中半兵衛陣所跡の感想 三木合戦の竹中半兵衛の陣所跡と言われている場所へ行ってきました。竹中半兵衛はこの三木合戦の最中に病気のため亡くなり、この陣所跡の近くに竹中半兵衛のお墓が残っています。 この陣所跡は秀吉本陣跡の北側に位置する平井山という場所にあります。一応案内はありますが、見落としやすいので訪問される際は注意してください。竹中半兵衛(竹中重治)は1544年に美濃(岐阜県)で生まれます。家系と […]

竹中半兵衛の墓(兵庫県)

竹中半兵衛の墓の感想 竹中半兵衛のお墓に行ってきました!竹中半兵衛と言えば、黒田官兵衛と共に豊臣秀吉の天下取りに貢献した軍師であり、また黒田官兵衛と仲が良かったと語られている人物でもあります。黒田官兵衛が荒木村重が織田信長(羽柴秀吉)から離反して有岡城に立て籠もり官兵衛が有岡城に幽閉された際に竹中半兵衛が黒田官兵衛の息子黒田長政を助けた逸話などがあります。大河ドラマ軍師官兵衛でもこの軍師二人の友情 […]

多田城跡/多田構居跡(兵庫県)

多田城跡/多田構居跡の感想 多田城跡/多田構居跡この読みは「ただじょうあと/ただこうきょあと)と読みます。ただ昔は「構居」とかいて「かまえ・かまい」と読んでいたとのことで、この辺りを「構江」と書いて「かまい」と呼ぶそうです。この居館は普段生活をする館跡で黒田城とは詰め城(戦の際に使用するお城)の関係だったとのことです。これが事実とすれば黒田家が使用していた居館跡なのではないかと思われますが、「播磨 […]

黒田官兵衛生誕地/姥が懐/黒田家屋敷跡(兵庫県)

黒田官兵衛生誕地/姥が懐/黒田家屋敷跡の感想 黒田官兵衛(如水・黒田孝高)生誕地へ行ってきました。伝承としての黒田官兵衛生誕地ではありますが、官兵衛好きとしては外せない場所です。この前の投稿の黒田城の麓にあり、普段はこの屋敷で過ごしていて黒田城が戦の時の詰め城だった可能性もあるかと思います。もしくは、黒田城に宗家がいて同じ黒田家の中でも官兵衛の家系はこの場所を居館にしていた可能性もあるかもしれませ […]

黒田城(兵庫県)

黒田城の感想 黒田官兵衛の生まれた地とも言われているので行っておかなければと思い西脇市にある黒田庄町黒田へ行ってきました。もう地名からしても黒田官兵衛と関係が深そうな気がしてきますね!ただこの地を出生の地とするのも確定した事実とまでは言えないようです。でも歴史は夢、浪漫ですからね。私は他の確定させるような発見があるまで信じてみようかと思います笑黒田城は黒田官兵衛の祖先?黒田重勝が築いたとされている […]

白巣城・三野畑城(兵庫県)

白巣城の感想 白巣城は安宅氏(あたぎし)のお城で安宅八家衆のお城のうちの一つです。戦国時代に安宅氏は淡路島の細川氏を三好之長が征伐し守護が不在となった淡路島で力をつけてきた国人衆になります。安宅氏が国人衆の中で勝ち抜いた理由として淡路水軍という水軍を持っていたためとも言われています。1581年になると織田信長(羽柴秀吉)がそれまでの方針を転換して四国攻めを開始すると淡路島も洲本城を仙石久秀に明け渡 […]

置塩城(兵庫県)

置塩城の感想 置塩城と書いて「おしおじょう」もしくは「おじおじょう」と読みます。置塩城は赤松氏が居城としたお城で、赤松 政則(あかまつ まさのり)が1469年に築城したお城になります。その後、100年、5代が居城にしたとのことです。赤松氏はもともと名門なのですが、1441年に赤松満祐が室町幕府の第6代将軍・足利義教を暗殺(嘉吉の乱)。ここで踏ん張れれば幕府を討ち、事実上の天下統一?くらいで教科書に […]

龍野城(兵庫県)

龍野城の感想 龍野城は1499年に赤松村秀(あかまつむらひで)が鶏籠山(けいろうざん)の山頂に築城して始まります(こちらは龍野古城とも言われています。)が、1577年に赤松氏が羽柴(豊臣)秀吉にお城を明け渡します。ただ、秀吉は姫路城に入ったので、蜂須賀正勝が龍野城に入りました。1658年に龍野城に入っていた京極氏が丸亀城へ移封となり一旦龍野城は廃城となります。今回はその後、第2期目として1677年 […]

妻鹿城/国府山城(兵庫県)

妻鹿城/国府山城の感想 妻鹿城(めがじょう)もしくは国府山城(こうざんじょう)と読みます。妻鹿城は妻鹿長宗によって1330年ごろに築城されたと言われております。その後、詳細な経緯は不明ですが、1573年に黒田官兵衛の父、黒田職隆(くろだもとたか)が居城として入ります。黒田官兵衛も羽柴(豊臣)秀吉に姫路城を譲った後、この妻鹿城に短い間ですが入ります。1585年、父の黒田職隆が亡くなるとこの妻鹿城も廃 […]

1 3