淡河城(兵庫県)
淡河城の感想 淡河城と書いて「おうごじょう」と読みます。淡河城の築城は鎌倉時代に執権だった北条氏の末裔、北条時治が兵庫(淡河庄)に来たことに始まるとのことです。この時治が土地の淡河庄から淡河氏(おうごし)を名乗るようになり淡河氏の家系が始まりますが、淡河氏の家紋は北条氏の「三つ鱗」が使われているので北条氏の家系と関係があるというのが想像つきますね。淡河城の築城は鎌倉時代1222年でその後、1339 […]
兵庫県のお城やその武将などにまつわる場所を表示しています。
淡河城の感想 淡河城と書いて「おうごじょう」と読みます。淡河城の築城は鎌倉時代に執権だった北条氏の末裔、北条時治が兵庫(淡河庄)に来たことに始まるとのことです。この時治が土地の淡河庄から淡河氏(おうごし)を名乗るようになり淡河氏の家系が始まりますが、淡河氏の家紋は北条氏の「三つ鱗」が使われているので北条氏の家系と関係があるというのが想像つきますね。淡河城の築城は鎌倉時代1222年でその後、1339 […]
別所長治公の首塚の感想 わずか26歳で織田信長(羽柴秀吉)に刃向かい三木城に籠城の末、お城を開城し切腹となった別所長治の首塚に行ってきました。ほぼ三木城と繋がっていると言っても間違いじゃないくらいの場所に雲龍寺というお寺がありそのお寺に別所長治公の首塚があります。一緒に妻、照子婦人も並んで首塚が建てられております。別所長治の辞世の句は「今はただ うらみもあらじ 諸人の いのちにかはる 我身とおもへ […]
鷹尾山城の感想 鷹尾山城は三木城鷹尾山城とも言われており、三木城の南側を守る支城だったようです。別所長治の時代に鷹尾山城には別所長治の弟、別所友之が入っていましたが、1580年、秀吉軍により落城してしまいます。別所友之は兄の別所長治同様に自刃されたようです。現在の鷹尾山城のあたりは、市役所と勤労者体育センターができてしまっており、土塁や堀などが一部残っているのみとなっております。三木城で出会った地 […]
三木城の感想 三木城に訪問してきました!三木城は釜山城や別所城とも呼ばれていたみたいです。三木城といえば、別所長治(べっしょながはる)が羽柴秀吉から離反して起こした三木合戦が有名ですね。でも、その前に別所氏が東播磨で力を付けていくきっかけを作ったのが別所則治(べっしょ のりはる)です。この方がいたから別所氏は東播磨八郡の守護代にまでなり別所氏を名門にしたと言えます。三木城を築城したのも別所則治にな […]
洲本城/三熊城の感想 洲本城(すもとじょう)に行ってきました!洲本城は、1526年に安宅(あたぎ)氏によって築かれたとされています。この安宅氏ですが、三好氏の水軍として活躍した氏族になります。発祥は熊野水軍の一員とされ、紀伊国安宅荘が発祥とされ、現在の和歌山県西牟婁郡白浜町日置川地区にあたるようです。安宅氏は阿波小笠原氏の流れの家系で阿波小笠原氏の小笠原頼春が阿波国から紀伊安宅荘に移り住んだことで […]
比延山城の感想 比延山城は「ひえやまじょう」もしくは「ひえさんじょう」と読むみたいです。比延山城は黒田重隆の妻の家系、比延氏の居城でした。比延氏ですが、赤松氏の子孫の本郷氏がこの比延庄に領地をもらい、後に比延氏を名乗るようになったことで始まった家系とのことです。築城年代は不明ですが1394年ごろと推定されているようです。ここの駐車場脇にある比延山城の説明を読むと「黒田官兵衛の父、重隆の妻、比延常範 […]
(羽柴)秀吉本陣跡の感想 三木合戦の際に秀吉が本陣として使用した陣跡になります。平井山ノ上付城跡(ひらいやまのうえつけじろあと)とも呼ばれているそうです。三木合戦は秀吉を離反した三木城城主の別所長治を討伐するための戦いになります。案内板には「天正6年(1578)7月、織田信長の長男、信忠が三木城を支援する神吉城や志方城(ともに加古川市)を攻略した後、築城したとされている。8月に羽柴秀吉が入ると、1 […]
竹中半兵衛陣所跡の感想 三木合戦の竹中半兵衛の陣所跡と言われている場所へ行ってきました。竹中半兵衛はこの三木合戦の最中に病気のため亡くなり、この陣所跡の近くに竹中半兵衛のお墓が残っています。 この陣所跡は秀吉本陣跡の北側に位置する平井山という場所にあります。一応案内はありますが、見落としやすいので訪問される際は注意してください。竹中半兵衛(竹中重治)は1544年に美濃(岐阜県)で生まれます。家系と […]
竹中半兵衛の墓の感想 竹中半兵衛のお墓に行ってきました!竹中半兵衛と言えば、黒田官兵衛と共に豊臣秀吉の天下取りに貢献した軍師であり、また黒田官兵衛と仲が良かったと語られている人物でもあります。黒田官兵衛が荒木村重が織田信長(羽柴秀吉)から離反して有岡城に立て籠もり官兵衛が有岡城に幽閉された際に竹中半兵衛が黒田官兵衛の息子黒田長政を助けた逸話などがあります。大河ドラマ軍師官兵衛でもこの軍師二人の友情 […]
多田城跡/多田構居跡の感想 多田城跡/多田構居跡この読みは「ただじょうあと/ただこうきょあと)と読みます。ただ昔は「構居」とかいて「かまえ・かまい」と読んでいたとのことで、この辺りを「構江」と書いて「かまい」と呼ぶそうです。この居館は普段生活をする館跡で黒田城とは詰め城(戦の際に使用するお城)の関係だったとのことです。これが事実とすれば黒田家が使用していた居館跡なのではないかと思われますが、「播磨 […]