近畿

2/7ページ

洲本城/三熊城(兵庫県)

洲本城/三熊城の感想 洲本城(すもとじょう)に行ってきました!洲本城は、1526年に安宅(あたぎ)氏によって築かれたとされています。この安宅氏ですが、三好氏の水軍として活躍した氏族になります。発祥は熊野水軍の一員とされ、紀伊国安宅荘が発祥とされ、現在の和歌山県西牟婁郡白浜町日置川地区にあたるようです。安宅氏は阿波小笠原氏の流れの家系で阿波小笠原氏の小笠原頼春が阿波国から紀伊安宅荘に移り住んだことで […]

比延山城(兵庫県)

比延山城の感想 比延山城は「ひえやまじょう」もしくは「ひえさんじょう」と読むみたいです。比延山城は黒田重隆の妻の家系、比延氏の居城でした。比延氏ですが、赤松氏の子孫の本郷氏がこの比延庄に領地をもらい、後に比延氏を名乗るようになったことで始まった家系とのことです。築城年代は不明ですが1394年ごろと推定されているようです。ここの駐車場脇にある比延山城の説明を読むと「黒田官兵衛の父、重隆の妻、比延常範 […]

(羽柴)秀吉本陣跡/平井山ノ上付城跡(兵庫県)

(羽柴)秀吉本陣跡の感想 三木合戦の際に秀吉が本陣として使用した陣跡になります。平井山ノ上付城跡(ひらいやまのうえつけじろあと)とも呼ばれているそうです。三木合戦は秀吉を離反した三木城城主の別所長治を討伐するための戦いになります。案内板には「天正6年(1578)7月、織田信長の長男、信忠が三木城を支援する神吉城や志方城(ともに加古川市)を攻略した後、築城したとされている。8月に羽柴秀吉が入ると、1 […]

竹中半兵衛陣所跡(兵庫県)

竹中半兵衛陣所跡の感想 三木合戦の竹中半兵衛の陣所跡と言われている場所へ行ってきました。竹中半兵衛はこの三木合戦の最中に病気のため亡くなり、この陣所跡の近くに竹中半兵衛のお墓が残っています。 この陣所跡は秀吉本陣跡の北側に位置する平井山という場所にあります。一応案内はありますが、見落としやすいので訪問される際は注意してください。竹中半兵衛(竹中重治)は1544年に美濃(岐阜県)で生まれます。家系と […]

竹中半兵衛の墓(兵庫県)

竹中半兵衛の墓の感想 竹中半兵衛のお墓に行ってきました!竹中半兵衛と言えば、黒田官兵衛と共に豊臣秀吉の天下取りに貢献した軍師であり、また黒田官兵衛と仲が良かったと語られている人物でもあります。黒田官兵衛が荒木村重が織田信長(羽柴秀吉)から離反して有岡城に立て籠もり官兵衛が有岡城に幽閉された際に竹中半兵衛が黒田官兵衛の息子黒田長政を助けた逸話などがあります。大河ドラマ軍師官兵衛でもこの軍師二人の友情 […]

多田城跡/多田構居跡(兵庫県)

多田城跡/多田構居跡の感想 多田城跡/多田構居跡この読みは「ただじょうあと/ただこうきょあと)と読みます。ただ昔は「構居」とかいて「かまえ・かまい」と読んでいたとのことで、この辺りを「構江」と書いて「かまい」と呼ぶそうです。この居館は普段生活をする館跡で黒田城とは詰め城(戦の際に使用するお城)の関係だったとのことです。これが事実とすれば黒田家が使用していた居館跡なのではないかと思われますが、「播磨 […]

黒田官兵衛生誕地/姥が懐/黒田家屋敷跡(兵庫県)

黒田官兵衛生誕地/姥が懐/黒田家屋敷跡の感想 黒田官兵衛(如水・黒田孝高)生誕地へ行ってきました。伝承としての黒田官兵衛生誕地ではありますが、官兵衛好きとしては外せない場所です。この前の投稿の黒田城の麓にあり、普段はこの屋敷で過ごしていて黒田城が戦の時の詰め城だった可能性もあるかと思います。もしくは、黒田城に宗家がいて同じ黒田家の中でも官兵衛の家系はこの場所を居館にしていた可能性もあるかもしれませ […]

黒田城(兵庫県)

黒田城の感想 黒田官兵衛の生まれた地とも言われているので行っておかなければと思い西脇市にある黒田庄町黒田へ行ってきました。もう地名からしても黒田官兵衛と関係が深そうな気がしてきますね!ただこの地を出生の地とするのも確定した事実とまでは言えないようです。でも歴史は夢、浪漫ですからね。私は他の確定させるような発見があるまで信じてみようかと思います笑黒田城は黒田官兵衛の祖先?黒田重勝が築いたとされている […]

白巣城・三野畑城(兵庫県)

白巣城の感想 白巣城は安宅氏(あたぎし)のお城で安宅八家衆のお城のうちの一つです。戦国時代に安宅氏は淡路島の細川氏を三好之長が征伐し守護が不在となった淡路島で力をつけてきた国人衆になります。安宅氏が国人衆の中で勝ち抜いた理由として淡路水軍という水軍を持っていたためとも言われています。1581年になると織田信長(羽柴秀吉)がそれまでの方針を転換して四国攻めを開始すると淡路島も洲本城を仙石久秀に明け渡 […]

置塩城(兵庫県)

置塩城の感想 置塩城と書いて「おしおじょう」もしくは「おじおじょう」と読みます。置塩城は赤松氏が居城としたお城で、赤松 政則(あかまつ まさのり)が1469年に築城したお城になります。その後、100年、5代が居城にしたとのことです。赤松氏はもともと名門なのですが、1441年に赤松満祐が室町幕府の第6代将軍・足利義教を暗殺(嘉吉の乱)。ここで踏ん張れれば幕府を討ち、事実上の天下統一?くらいで教科書に […]

1 2 7