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江美城 / 江尾城 / 江尾要害(鳥取県)

江美城 / 江尾城 / 江尾要害の感想 江美城(えびじょう)の築城はいつだかわかりませんが蜂塚安房守が築城したと云われています。蜂塚氏は清和源氏の新田氏系の流れを組むとか!?!?伯耆国日野郡の国人領主として発展していったようで、築城した蜂塚安房守が一代目と考えれば、二代目の蜂塚三河守、三代目の蜂塚丹波守と続いていましたが、後に尼子氏が伯耆国に侵入すると尼子氏の下へ属した。4代当主の蜂塚右衛門尉(は […]

黒坂鏡山城 / 鏡山城 / 黒坂城(鳥取県)

黒坂鏡山城 / 鏡山城 / 黒坂城の感想 実は・・・私には行きたい安芸国の鏡山城がありますので、ここではあえて黒坂鏡山城と云わせてもらいます!!!(。◕ˇдˇ​◕。)/1600年の関ケ原の戦い後、伯耆国に中村一忠が入国していましたが、1609年に中村家内でゴタゴタが発生し改易されたため伯耆国には大小の大名に分割されます。その中のひとり、伊勢国亀山より関一政(せきかずまさ)が入国したみたいです。関一 […]

法勝寺城 / 尾崎城(鳥取県)

法勝寺城 / 尾崎城の感想 法勝寺城は、わりと早い時期から西伯耆国の要として城は築城されていたらしいです。。。この地域一帯は山名氏が支配をしており、築城者はわかりませんが山名満幸(山名師義(やまなもろよし)の四男)が築城したと云われており、山名満幸は丹後国・出雲国・隠岐国・伯耆国の守護大名だったと云われるので、西の要として勢力を持っていたと思われますね。何やら調べると・・・1481年頃、伯耆国の守 […]

洲本城/三熊城(兵庫県)

洲本城/三熊城の感想 洲本城(すもとじょう)に行ってきました!洲本城は、1526年に安宅(あたぎ)氏によって築かれたとされています。この安宅氏ですが、三好氏の水軍として活躍した氏族になります。発祥は熊野水軍の一員とされ、紀伊国安宅荘が発祥とされ、現在の和歌山県西牟婁郡白浜町日置川地区にあたるようです。安宅氏は阿波小笠原氏の流れの家系で阿波小笠原氏の小笠原頼春が阿波国から紀伊安宅荘に移り住んだことで […]

比延山城(兵庫県)

比延山城の感想 比延山城は「ひえやまじょう」もしくは「ひえさんじょう」と読むみたいです。比延山城は黒田重隆の妻の家系、比延氏の居城でした。比延氏ですが、赤松氏の子孫の本郷氏がこの比延庄に領地をもらい、後に比延氏を名乗るようになったことで始まった家系とのことです。築城年代は不明ですが1394年ごろと推定されているようです。ここの駐車場脇にある比延山城の説明を読むと「黒田官兵衛の父、重隆の妻、比延常範 […]

尾崎寺城主 毛利本紹主従の墓(鳥取県)

尾崎寺城主 毛利本紹主従の墓の感想 法勝寺城の麓にお墓がありました。法勝寺城の城攻め前にふらっと寄ってみました。 『尾崎寺城主 毛利本紹主従の墓』です<(`^´)> すごく謎だなぁ~って困惑しています。 先ず、毛利本紹って誰なんでしょ?毛利元就の子供には存在しません。毛利輝元(毛利元就の孫)にもそんな子息は存在していません。毛利元就の長男 毛利隆元の妻が大内氏の重臣 内藤氏の娘で、その […]

末吉城(鳥取県)

末吉城の感想 朝イチに末吉城に楽しみに襲撃しました(^^)/~♪ ナニコレ???全然城がわからん(+_+) 住宅地奥に攻め込んで迷路で四苦八苦!!!どの辺が末吉城か?(住宅地は迷路になっており城の感じはしますが・・・)わからないまま、ここに本丸があったのかな?って感じの小さな神社を見つけたので撮影しておきました! 末吉城は、1568年に尼子復興を掲げる山中鹿之助が尼子国久の孫だった尼子勝久(見つけ […]

神西城 / 龍王山 / 竹生城 / 高倉城(島根県)

神西城 / 龍王山 / 竹生城 / 高倉城の感想 神西城(じんざいじょう)は尼子十旗のひとつとされている重要な城であり、現在の出雲市よりも西側にあり神西湖の南東に位置し、尼子氏の本拠地月山富田城からは最も最西端にある山城です。 築城ははっきりしていませんが、鎌倉時代に武蔵七党のひとつ横山党の小野氏(小野高通?)が地頭職に任じられ、出雲国神門郡神西へ下向したのが始まりとされています。その小野氏が土着 […]

伝 尼子晴久の墓(島根県)

伝 尼子晴久の墓の感想 尼子晴久の墓は月山富田城本丸の南側麓の森の中にありました。尼子晴久は尼子政久(尼子経久の長男)の次男として生まれ、政久が阿用城攻めの際に討死してしまったため、年少ではありますが尼子家を継ぐこととなります。勿論、尼子経久は健在で高齢になるまで尼子晴久を支え続けます。尼子晴久は当初 詮久(あきひさ)と名乗っていました。尼子詮久は尼子経久の命により、伯耆守護代として伯耆守護の山名 […]

伝 尼子義勝(尼子久幸)の墓(島根県)

伝 尼子義勝(尼子久幸)の墓の感想 尼子義勝は尼子経久の弟で義勝って云うよりは尼子久幸として知られているような気がします。尼子久幸は兄の尼子経久をめちゃくちゃ支え、晩年、尼子経久が自らの老いを悟ると久幸に自分が亡くなったら尼子家を継ぐように頼むと、久幸はそれを断り政久(経久の長男、阿用城攻め中に討死)の子、晴久に家督を継ぎ自分たちが全力で支える事を約束したと云われています。晴久が成人し勢力を拡大、 […]

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