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横須賀城(静岡県)

横須賀城の感想 横須賀城は武田信玄の高天神城に対するお城の一つとして徳川家康が大須賀康高に造らせたお城になります。この頃からなのか、それともそれ以前から徳川家康に従っていたのかわかりませんが、個人的にはこの地域発祥の「横須賀党(衆)」という家康の家臣団に興味がありずっと行きたいと思っていました。横須賀党の部隊は高天神城の攻略で活躍し、歴史に名を刻んだ武士たちになります。この横須賀党の活躍により、大 […]

浜松城(静岡県)

浜松城の感想 徳川家康の城といえば浜松城を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。1570年から1586年の駿府城へ移るまでの居城で、この前の記事でも書きましたが、武田信玄との戦いに備えるためのお城でもあり、三方原の戦いなどはこの浜松城の近くになります。浜松城は元々、曳馬城と呼ばれていて、家康が移ってきた時に浜松と名前を変えた経緯があります。家康が先ほど書いた武田信玄に対する城にするために改修を […]

三方原古戦場(静岡県)

三方原古戦場の感想 徳川家康・織田信長 対 武田信玄の戦いの地である三方原古戦場に行ってきました。三方原の戦いといえば徳川家康が武田信玄に大敗し、多くの死傷者を出した戦いとして有名です。大河ドラマ「どうする家康」でもこのころは家康は頼りない武将として描かれており、この頃の失敗が糧になって関ヶ原以降の天下取りに生かされているようなストーリーになっていたかと思います。当時は武田信玄が天下に一番近い(強 […]

今川氏輝公の墓(静岡県)

今川氏輝公の墓の感想 今川氏輝は桶狭間の戦いで有名な今川義元の兄にあたる方になります。今川氏輝は24歳という若さで亡くなっており、家督を継いだ時は14歳という若さで今川の当主になっています。若くて何もせずになくなっているかというとそんなことはなく、小田原の後北条氏と手を組んで武田信虎(武田信玄の父)と戦って勝利を納めたりしています。ただ氏輝は後継がいないまま亡くなってしまったので、後継者争いで今川 […]

旭姫(徳川家康正室)の墓(静岡県)

旭姫(徳川家康正室)の墓の感想 徳川家康の正室で豊臣秀吉の妹になります旭姫のお墓に行ってきました。駿府城からも近い場所なので駿府城へ行ったのでこれは行っておこうと思いお参りさせていただきました。個人的には大河ドラマきっかけで知った方なので詳しいわけではないですが、どうする家康では山田真歩さんが演じられていました。旭姫は徳川家康の最初の正室である築山殿(こちらは有村架純さんが演じられていました。)が […]

大田原城 / 龍城 / 龍体城(栃木県)

大田原城 / 龍城 / 龍体城の感想 『大田原(おおたわら)城』は、大田原資清(おおたわらすけきよ)によって築城され、1543年~1545年には大田原氏の本拠としていたと思われます。大田原氏は元々『大俵氏』だったらしく、14代だった資清の代に「大田原」に改姓したらしいですね。。。この辺の判断など、大田原資清の判断力と実行力には結果的に驚かされますね(〃艸〃)ムフッ大田原氏は那須氏の有力武将の『那須 […]

黒羽城(栃木県)

黒羽城の感想 黒羽城は現在の栃木県大田原市(下野国)にある県北でも那須烏山城と同様に大規模な山城で、白旗城にいた大関高増が新たに黒羽城を築き自らの居城として移り住んだ様です。この大関高増は元々は大田原資清の長男でしたが戦略上大関氏へ養子に出され、大関氏の家督を継いだものと思われます。那須氏の傘下にいましたが1560年小田倉の戦い(白河結城氏と蘆名氏が那須氏を滅ぼすために侵攻した戦い)で、数で劣る那 […]

旧小幡藩武家屋敷 松浦氏屋敷(群馬県)

旧小幡藩武家屋敷 松浦氏屋敷の感想 小幡藩の中老を務めた松浦氏の屋敷で1978年(昭和53年)まで住居、蚕室として利用されていたとのことで、建てられたのが18世紀中頃で江戸時代後期というのを考えると比較的最近まで使われていた屋敷と言えます。昭和53年に甘楽町に寄贈されて、現在松浦市屋敷は群馬県指定史跡となっており、建物が非常に綺麗に残っているとのことで学術的にも価値があるとのことです。実際に訪問し […]

下野 白旗城(栃木県)

下野 白旗城の感想 兵庫(播磨国)赤松氏の城で白旗城があるので、ここでのタイトルは『下野 白旗城』とさせて頂きます。白旗城は1394年~1428年ぐらいに大関増清によって築かれた城と云われており、この頃の大関氏は那須家に属した武将集団『那須七騎(主家の那須氏と、一族の蘆野氏・伊王野氏・壬本氏・福原氏と、重臣だった大田原氏とこの大関氏)』の旗頭だった大関氏が大関城から拠点を白旗城に移し築城した(大関 […]

大関城(栃木県)

大関城の感想 関東に住んでいてイロイロ歴史の事を調べていると『大関氏』と云う一族の名を知ることが出来ます。大関氏を調べてみると、大関氏は武蔵七党(横山党・猪俣党・児玉党・村山党・野与党・西党・丹党の七党)の丹党の末裔と云われており本姓は『丹治(たじひ)』氏と云われているみたいです。しかしそれはイロイロあって大関高増が大田原氏から養子に入った時に大関氏の系図を書き直し(虚偽)て丹治氏を名乗った疑いが […]

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