木崎城(茨城県)
木崎城の感想 勝手に『南方三十三館シリーズ』第4弾!!!『木崎城』です(^▽^)/ 佐竹義重・義宣親子を調べてて、常陸国を治めるにあたって居城だった太田城から水戸城へ移す際に、秀吉の天下の中、未だ従わなかった常陸国の武将たちを太田城に呼び、騙し討ちで皆殺しにした(中には逃げ出せた武将もいましたが後で滅ぼされています)話が合って、その対象が『南方三十三館(なんぽうさんじゅうさんだて、なんぽうさんじゅ […]
木崎城の感想 勝手に『南方三十三館シリーズ』第4弾!!!『木崎城』です(^▽^)/ 佐竹義重・義宣親子を調べてて、常陸国を治めるにあたって居城だった太田城から水戸城へ移す際に、秀吉の天下の中、未だ従わなかった常陸国の武将たちを太田城に呼び、騙し討ちで皆殺しにした(中には逃げ出せた武将もいましたが後で滅ぼされています)話が合って、その対象が『南方三十三館(なんぽうさんじゅうさんだて、なんぽうさんじゅ […]
武田氏発祥の地/武田氏館の感想 甲斐武田氏発祥の地へ行ってきました。甲斐武田氏と言えば誰でも知ってる武田信玄ですが、その武田氏のルーツを辿るとなんと茨城県ひたちなか市に辿り着きます。ちなみにその甲斐で武田を名乗るきっかけになったのが鎌倉時代まで遡りますが、新羅三郎義光(源義光)になります。実際に武田を名乗ったのは義光の息子「義清(よしきよ)」の代からです。ちなみに甲斐源氏の祖である新羅三郎義光(源 […]
札城の感想 勝手に『南方三十三館シリーズ』第3弾!!!『札(ふだ)城』です(^▽^)/ 佐竹義重・義宣親子を調べてて、常陸国を治めるにあたって居城だった太田城から水戸城へ移す際に、秀吉の天下の中、未だ従わなかった常陸国の武将たちを太田城に呼び、騙し討ちで皆殺しにした(中には逃げ出せた武将もいましたが後で滅ぼされています)話が合って、その対象が『南方三十三館(なんぽうさんじゅうさんだて、なんぽうさん […]
烟田城の感想 勝手に『南方三十三館シリーズ』第2弾!!!『烟田(かまた)城』です(^▽^)/ 佐竹義重・義宣親子を調べてて、常陸国を治めるにあたって居城だった太田城から水戸城へ移す際に、秀吉の天下の中、未だ従わなかった常陸国の武将たちを太田城に呼び、騙し討ちで皆殺しにした(中には逃げ出せた武将もいましたが後で滅ぼされています)話が合って、その対象が『南方三十三館(なんぽうさんじゅうさんだて、なんぽ […]
小幡城の感想 出会いは偶然でした・・・佐竹義重・義宣親子を調べてて、常陸国を治めるにあたって居城だった太田城から水戸城へ移す際に、秀吉の天下の中、未だ従わなかった常陸国の武将たちを太田城に呼び、騙し討ちで皆殺しにした(中には逃げ出せた武将もいましたが後で滅ぼされています)話が合って、その対象が『南方三十三館(なんぽうさんじゅうさんだて、なんぽうさんじゅうさんやかたと呼ぶみたい)』となり、鹿島・行方 […]
観音寺城の感想 色々な歴史系の記事やYoutubeなどでも影が薄くいじられ役のイメージがある六角氏の居城、観音寺城へ行ってきました。鎌倉時代から続く名家で滋賀(近江)の武将だというのに戦国時代のTV番組やほとんど取り上げられることがない武将のイメージが強い武家です。観音寺城はその名の通り観音寺がある繖山(きぬがさやま) に築かれたお城で、佐々木定綱から始まった後、四家に分かれ、その別れた家の一つが […]
額田城の感想 額田(ぬかだ)城です。 額田城は太田城を佐竹氏に奪われ支配地域を変えられた、藤原通延の孫の通盛が小野崎の地で額田城を築いたとされ、藤原氏は小野崎氏を名乗っていた様で額田小野崎氏としてこの地域を支配していた様で、佐竹の内紛にも関与し独立心の強い一族だった様です。(そりゃ~そうだよね!もともと支配していた太田を佐竹氏に追い出されて憎しみしかなかったと思うよ)佐竹氏の内乱に転じて混乱の中で […]
太田城/舞鶴城の感想 たいした城跡も残ってはいませんが、私の中ではとてもとても行きたかった城跡で、今回とうとう念願が叶いました!!!! 佐竹義重の居城であり、1109年に藤原通延が築城したと云われており、新羅三郎義光の孫だった源昌義が戦功によりこの一帯の領することとなり地名から『佐竹』を名乗ったとされています。二代目の佐竹隆義が藤原通盛(通延の孫)を降し小野台地へ移し藤原氏から小野崎氏を名乗らせ、 […]
烏山城の感想 烏山城(からすやまじょう)は、栃木県那須烏山市にある標高202mの八高山に築かれた山城で、『那須烏山市』の地名にある通り、源平の合戦際に『屋島の戦い』で平家側の舟の上に掲げた『扇の的』を射落とした『那須与一』の末裔であると云われているみたいです。鎌倉幕府創設期には、結城氏・佐竹氏と共に那須氏も『関東八屋形』と呼ばれていたが、途中、那須氏も『上那須家』と『下那須家』の二つに分裂してしま […]
本能寺跡の感想 日本歴史で一番有名な本能寺の変のあった場所、本能寺跡へ行って来ました。すでに当時の本能寺の面影は全くなく、現在でも本能寺自体はありますが、移築して建てられたものなので現在の本能寺は織田信長時代の場所ではありません。本能寺の変自体は語るまでもないかと思いますが、簡単に説明を書いておきます。1582年に織田信長の家臣だった明智光秀が主君の織田信長をこの本能寺で討った出来事です。教科書で […]