神吉城(兵庫県)
神吉城の感想 神吉城(かんきじょう)と読みます。別名、真名井城(まないじょう)、奈幸子城(なこしじょう)とも呼ばれるみたいです。神吉城は神吉氏のお城で赤松氏の支流に当たる家系のようですね。ちなみに赤松氏は置塩城という山城好きには絶対に行って欲しいお城を居城にしていた播磨では有力な武将になります。別で置塩城も投稿する予定です。お楽しみに!神吉氏の話に戻りますが、神吉氏は別所長治が織田信長(豊臣秀吉) […]
神吉城の感想 神吉城(かんきじょう)と読みます。別名、真名井城(まないじょう)、奈幸子城(なこしじょう)とも呼ばれるみたいです。神吉城は神吉氏のお城で赤松氏の支流に当たる家系のようですね。ちなみに赤松氏は置塩城という山城好きには絶対に行って欲しいお城を居城にしていた播磨では有力な武将になります。別で置塩城も投稿する予定です。お楽しみに!神吉氏の話に戻りますが、神吉氏は別所長治が織田信長(豊臣秀吉) […]
志方城の感想 志方城は黒田官兵衛の正妻、光(てる)の実家になります。志方城は櫛橋氏のお城で光は櫛橋伊定(くしはし これさだ)の娘として生まれますが、その後小寺政職(こでら まさもと)の養女になり黒田官兵衛の元に嫁ぎます。光と官兵衛の子が黒田長政(くろだ ながまさ)で初代福岡藩の藩主になります。志方城は、1578年の別所長治が織田信長(豊臣秀吉)に反旗を翻したときに小寺政職(こでら まさもと)などと […]
英賀城の感想 英賀城と書いて「あがじょう」と読みます。別名、岩繋城(いわつぎじょう)とも呼ばれていたそうです。古くは鎌倉時代くらいから砦があったみたいです。その後、室町時代になり赤松 祐尚(あかまつ すけひさ)の頃にお城として築城されて、その後三木氏の居城となり改修されたみたいです。英賀城は別所氏の三木城、小寺氏の御着城と並び播磨三大城と呼ばれていたみたいです。英賀城の特徴は播磨灘に面していて港を […]
黒田職隆廟所の感想 黒田職隆(くろだもとたか)は黒田官兵衛の父親で、黒田長政の祖父になります。ものすごい武功を上げたという人物ではありませんが、縁の下の力持ち。もしくは映画やドラマなら名バイプレイヤーのような存在で黒田家になくてはならない人物と言えます。黒田職隆が判断を誤っていれば黒田家は滅んでいたかもしれなかった史実などを知ると黒田職隆の魅力がわかるのでは無いでしょうか? 大河ドラマ軍師官兵衛で […]
母里太兵衛生誕之地の感想 母里太兵衛生誕之地へ行ってきました。母里太兵衛といえば黒田官兵衛の家臣で黒田二十四騎のうちの一人とか黒田八虎のうちの一人として非常に有名ですね。個人的には大河ドラマの軍師官兵衛で速水もこみちさんが演じられていたのが記憶に残っています。軍師官兵衛でも演じるシーンが出てきますが、母里太兵衛といえば、黒田長政からの命で福島正則の屋敷へ行くことになり福島正則からお酒を勧められます […]
黒田家廟所の感想 御着城のすぐ隣に黒田家廟所がありました。ここの墓所には黒田重隆(くろだしげたか)黒田官兵衛の祖父と明石正風(あかしまさかぜ)の娘=黒田職隆(くろだもとたか)の正室で黒田官兵衛の母親のお墓があります。また、明石正風(あかしまさかぜ)の娘は黒田家の主君である小寺 政職(こでら まさもと)の養女にもなる方です。つまり黒田官兵衛から見るとおじいちゃんと母親のお墓ということになりますね。こ […]
御着城/天川城の感想 黒田官兵衛ゆかりのお城として御着城へ行ってきました。御着城は黒田家の主君である小寺氏のお城になります。小寺氏は赤松氏の支流で小寺頼季(こでらよりすえ)が祖として始まった氏族になり、黒田氏は黒田重隆(くろだしげたか)=黒田官兵衛の祖父 が小寺政隆(こでらまさたか)に仕えるようになり小寺氏の家臣として頭角を現していきます。重隆(しげたか)の息子、黒田職隆(もとたか)が姫路城代の役 […]
平賀氏城跡の感想 平賀氏城跡は鎌倉時代に平賀義信が築城したと言われているお城になります。その後、平賀氏が代々このお城を居城として戦国時代まで使われていたとのことです。平賀氏は新羅三郎義光(源義光)の子、盛義が祖とされており、長野県佐久市の平賀地域に所領をもらったことで平賀を名乗るようになります。ちなみに新羅三郎義光(源義光)は武田信玄など武田氏の祖でもありますので、平賀氏と武田氏は同じ祖先を持つと […]
内山城の感想 内山城は永世年間(1504年ごろ)に大井美作入道玄岑(おおいみまさかのにゅうどうげんしん)が築城したとされています。1546年に武田晴信(信玄)の佐久侵攻により落城し、その後は武田家臣の小山田 虎満 / 小山田 昌辰(おやまだ とらみつ / おやまだ まさたつ)が城代として入ったお城になります。内山城はその後、1582年に武田氏が滅んだことにより翌1583年に廃城になったようです。そ […]
笠原新三郎(清繁)首塚の感想 笠原新三郎(清繁)は志賀城の城主で武田晴信(信玄)との戦いで敗れた武将です。佐久地域を収めたい信玄が1546年に志賀城を攻めて、笠原新三郎は関東管領だった上杉憲政に援軍を依頼しますが、武田軍は援軍を志賀城に近づける前に碓氷峠の辺りで打ち破ります。その時に討ち取った敵将と敵兵の首を武田晴信(信玄)は志賀城の周りにおよそ3000も並べたと言われております。それから、程なく […]