孤高の反逆児ポンタ

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武蔵松山城(埼玉県)

武蔵松山城の感想 西から西南に流れる市野川を天然の堀として、周りと比べると丸く亀のような丘のような山があります。『武蔵松山城』です!愛媛や岡山とかなどなどの松山城がたくさんあるので、ここでは『武蔵(むさし)松山城』』と書かせてもらいます。またの名を『武州(ぶしゅう)松山城』とも言います。 武蔵松山城は現在(2022年)の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に登場する比企(ひき)氏の比企氏城館跡群にあり、比 […]

小弓城(千葉県)

小弓城の感想 『こゆみ』と書いて『小弓(おゆみ)城』と呼びます。俺は初めてだったのですが、地元の方は普通に『小弓=おゆみ』と呼んでいました。小弓城は下総国・上総国に勢力を広げた千葉氏の流れを組む。亥鼻城(千葉城)の支城として築かれたお城らしく、千葉兼胤の弟・原四郎胤高が居城して以来、原氏累代の城となったようです。 俺は歴史小説で足利高基の弟『足利義明』の居城として知りました。足利義明は原胤清を追っ […]

真里谷城(千葉県)

真里谷城の感想 真里谷(まりやつ)城は千葉県木更津市にあるお城ですが海側ではなく山側に築城されており、下総国と上総国のちょうど間に位置する標高162mの山に築かれた大規模な山城です。真里谷城は、真里谷武田氏(上総武田氏・真里谷氏)の居城であり、当初は上総国に進出するための重要拠点として真里谷武田信長(なんだかややこしいですねぇ~苦笑)が築城したのが始まりとなっており、真里谷城を拠点として上総国一帯 […]

佐貫城(千葉県)

佐貫城の感想 千葉県富津市にある『佐貫(さぬき)城』です。富津市と聞くと内房海岸を思い出しますが、佐貫城は富津市の内陸側にあるお城で、室町時代後期から明治時代初頭まで城主が入れ替わりながらわりと長く存在した城だと初めて知りました。小説などから里見氏の居城だと認識していたのですが、調べてみると真里谷(まりやつ)武田氏(甲斐武田氏の流れ)が最初(1507年)に佐貫城を築いたみたいで、真里谷武田氏との争 […]

滝田城(千葉県)

滝田城の感想 最初は寄るつもりもなかったのですが、一緒に城攻めしていた相棒が行きたいというのでシブシブ寄ってみましたが・・・・・・・・最高でした!(〃艸〃)ムフッ マジ!最高でした!!!!(*`艸´)ウシシシ 滝田城は安房・房総を支配した里見の城で、里見義実が築いたともいわれていますが里見5代目の里見義豊が築いたのか整備したのかで滝田城を築いたものと思われます。里見氏の本拠地は稲村城なので里見義豊 […]

宮本城(千葉県)

宮本城の感想 宮本城は安房里見氏2代目の里見成義が稲村城の支城として築いたお城らしく、安房里見氏4代目の里美実堯が、5代目義豊が幼かったため里見の実権を里見氏の本拠地である稲村城で握り、里見義豊は支城であるこの宮本城に入城していました。成人した里見義豊は宮本城で挙兵し稲村城の里見実堯を攻め落とし稲村城を占領しました。しかし!!!!!!!!里見実堯の息子である里見義堯に攻め込まれて里見義豊は享年21 […]

安房岡本城(千葉県)

安房岡本城の感想 当時、安房国にあった『岡本城』を城攻めしてみました!((´∀`))岡本城は他にあるので、ここではあえて『安房岡本城』と呼ばせて頂きますね! 安房岡本城は現在の南房総市にある海沿いのお城です。房総半島南部(上総国・安房国)に勢力を拡大した里見氏のお城として知っていましたが、実際に城攻めしてみると里見義尭の息子である義弘の時にしっかりと安房岡本城を築き直したみたいで、元々は里見氏家臣 […]

上泉城(群馬県)

上泉城の感想 剣聖といわれる上泉伊勢守信綱を求めて上泉城を訪ねてみました。上泉城は大胡城の支城として築城され、大胡城主であった大胡氏の流れを組む上泉氏が城主だった様です。 上泉城は城跡としては崩壊しており、お寺と住宅地に飲み込まれています・・・・ 上泉 伊勢守 信綱は聖剣として知られ『新陰流』の祖となる人です。彼がその後、新陰流を柳生石舟斎(柳生新陰流)や宝蔵院胤栄(宝蔵院流槍術)などに新陰流を伝 […]

大胡城(群馬県)

大胡城の感想 『大胡(おおご)城』は、現在の群馬県前橋市河原浜町付近にある中世の平山城です。その昔の昔、藤原秀郷を祖とする大胡氏の居城であり、大胡氏の流れはその後上泉氏へも一族の広がりを見せて、戦国時代には『新陰流』の祖とする剣豪『上泉伊勢守信綱』がいる上泉氏も大胡城の城主でもありました。 真田幸綱の小説を読んでいると、真田の郷を追われた真田幸綱が山内上杉家を頼り亡命ししていた頃に、箕輪城の長野業 […]

相模岡崎城(神奈川県)

相模岡崎城の感想 岡崎城といえば愛知県岡崎市にある岡崎城(徳川家康が生まれた城)が有名ですが、それよりも早く築城されていたと思われるのがこの岡崎城です。紛らわしいのでここでは『相模岡崎城』と呼ばせて頂きます。 相模岡崎城は三浦半島の名家三浦氏の一族がこの土地に土着して岡崎氏を名乗っていたようです。三浦義継の四男坊であり、鎌倉幕府の創設に尽力した三浦義明の弟となる義実は『三浦悪四郎』と呼ばれていたこ […]

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