室町時代(主に南北朝時代)

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伊勢大木城(三重県)

伊勢大木城の感想 大木城は員弁三郎行綱(いなべさぶろうゆきつな)が1206年居城したと言われ、その後、大木舎人(おおきとねり)が永禄年間(1558~1569年)に居城したといわれているようです。大木舎人がどのような人物だったのかよくわかりませんが、織田信長に降伏し落城は免れたものの、織田信長の家臣である滝川一益に不信をかって城を終われ大木城は廃城になったようです。 伊勢大木城画像ギャラリー 説明板 […]

伊勢大井田城(三重県)

伊勢大井田城の感想 案内板によると栗田左衛門左の居城だったと書かれていて1473年に美濃の斎藤氏と1ヶ月にわたって戦ったと書かれているので、戦った相手は斎藤妙椿(さいとうみょうちん)もしくは斎藤妙純(さいとうみょうじゅん)ではないかと思います。大井田城の近くにある梅戸城を1473年に落城したとなっているのでこのどちらかもしくは二人ともを相手にしていただのではないかと思います。あとで冷静に案内板を読 […]

臼井城(千葉県)

臼井城の感想 臼井城は千葉氏の家臣臼井氏の居城だったところです。あまり人が来るお城ではありませんが、上杉謙信が唯一負けた戦いと言われているのがこの「臼井城の戦い」とあと「生野山の戦い」の2つと言われています。臼井城の戦いは、1565年に後北条氏の北条氏康と関東管領だった上杉謙信の関東を巡る領有権争いの戦いの一つです。実際に戦っていたのは北条氏側が原氏で上杉謙信側が里見氏と謙信自身になります。臼井城 […]

田代城(神奈川県)

田代城の感想 田代城は、現在の愛川中〇校と中津川の間にある城です。(何で隣に中津川が流れているのに、中津川ではなく愛川やねん!?) 田代城は津久井城を居城とした内藤氏(北条氏の家臣)が築いたとされ、田代城は内藤氏は内藤秀勝、秀行の二代と続いたとされています。。。因みに・・・二代目の内藤秀行の子、内藤定行は近くに細野城を築き、津久井城に対する支城として防衛に努めたと思われます。 田代城は・・・城攻め […]

細野城(神奈川県)

細野城の感想 築城は定かではありませんが、北条氏の家臣の内藤定行によって築かれた城と云われています。巨大な山城、津久井城は津久井氏が築いたと云われていますが、相模国を支配していた扇谷上杉の国人衆の津久井氏はその後北条氏(後北条氏)に圧され、北条氏の家臣である内藤氏が津久井城に入城し、その一族の内藤定行がこの城を築いたと云われています。 細野城は城となっていますが、個人的には砦みたいなものだったんじ […]

宮城野城(神奈川県)

宮城野城の感想 偶然、箱根付近をブラブラしてて見つけちゃった山城です! 『宮城野城』です!?Σ(・□・;) 後で調べたのですが、宮城野城は尾根に築かれた山城らしく、築城は不明ですが小田原近辺を治めていた大森氏が築いたんじゃないかと思われているみたいですね。。。確かかにこの場所は箱根の堅を越えるときの宿場があったんじゃないのかな?って思える場所で、その宿場町を支配するために(お金もですが情報も)大森 […]

足利氏宅跡/鑁阿寺(栃木県)

足利氏宅跡(鑁阿寺)の感想 足利義康を祖とする足利氏の館跡に行って来ました。鑁阿寺(ばんなじ)として本堂が国宝に指定されており、途中で修繕されているとのことですが、1299年に建てられたとのことです。震災など地震もありながら今でも残っていることが奇跡に感じます。今後も大事に残してほしいですね。この足利氏館は義康の息子である足利氏2代目の義兼によって1197年に建てられたとのことです。この義兼の妻は […]

真田城 / 眞田城(神奈川県)

真田城の感想 相模岡崎城からクルマで約10分(徒歩だと1時間ぐらいかな?約3.6㎞)の場所にあるのが『眞田城』です。我々の中では『真田氏』と云えば信州上田の真田氏なのですが、この相模国にも真田がいたんですね~調べると、この真田は相模岡崎城の三浦氏の流れの様で、岡崎義実(義実は三浦義明の弟)の子の岡崎義忠がこの真田の地に移り住み、岡崎氏から真田氏(真田・眞田・佐奈田・佐那田・実田とも呼ばれているので […]

足利城/両崖山城(栃木県)

足利城(両崖山城)の感想 藤性足利氏の初代、足利成行(あしかがしげゆき)のお城になります。築城はなんと西暦1054年と1000年以上も前に築城されたお城。両崖山は高さは258.6mとそれほど高い山に感じませんが実際はかなりの険しい岩山の上にあるお城になります。遺構的なものは本丸以外あまりよくわからないですが、二の丸、馬場、武者走りなどがあるようです。この足利城は戦国時代には足利長尾氏のお城として使 […]

中居城(茨城県)

中居城の感想 勝手に『南方三十三館シリーズ』第5弾!!!『中居城』です(^▽^)/ 佐竹義重・義宣親子を調べてて、常陸国を治めるにあたって居城だった太田城から水戸城へ移す際に、秀吉の天下の中、未だ従わなかった常陸国の武将たちを太田城に呼び、騙し討ちで皆殺しにした(中には逃げ出せた武将もいましたが後で滅ぼされています)話が合って、その対象が『南方三十三館(なんぽうさんじゅうさんだて、なんぽうさんじゅ […]

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