伴城(広島県)
伴城の感想 伴城(ともじょう)は伴氏の居城で安芸武田氏の一族とされています。伴氏は安芸武田氏の庶流で南北朝時代頃に分流したといわれ、武田家中でも一門として勢力を持っていました。伴城は現在の広島市安佐南区沼田町伴にあり、3つの山城から成り立っていたとされ、まとめて伴城と云うみたいですね。。。たぶん。。。伴城は安芸武田氏の居城だった佐東銀山城の裏手にあり、本流の安芸武田氏、及び、佐東銀山城を裏手から守 […]
広島県のお城やその武将などにまつわる場所を表示しています。
伴城の感想 伴城(ともじょう)は伴氏の居城で安芸武田氏の一族とされています。伴氏は安芸武田氏の庶流で南北朝時代頃に分流したといわれ、武田家中でも一門として勢力を持っていました。伴城は現在の広島市安佐南区沼田町伴にあり、3つの山城から成り立っていたとされ、まとめて伴城と云うみたいですね。。。たぶん。。。伴城は安芸武田氏の居城だった佐東銀山城の裏手にあり、本流の安芸武田氏、及び、佐東銀山城を裏手から守 […]
草津城 / 安芸草津城 / 田方城(広島県)の感想 草津城は今は埋め立てられたのでわかりませんが戦国時代には海に面した山城で、広島湾の西岸にある標高 320.6 mの鈴ケ峰に築かれていたとされています。海に向って南東に派生する尾根の先端部に位置している。草津城の本城跡は4つの郭群からなり、各郭群は4本の堀切によって区分されている。これら郭群を北側から4郭群とした。この4つの郭群は、古江分(2つの郭 […]
海老山城の感想 海老山城は『えび』ではなく『かいろう』と呼びます♪『海老山城(かいろうやまじょう)』ですわぁぁぁ(●^o^●) 現在は埋め立てられて住宅地となり、こんもりとした丘の公園になっていますが、その昔は、陸から少し離れた小島にある島城だったと思われます!? 海老山公園の造成により海老山城のほとんどが破壊されているが、城は二つの郭と三つの小郭からなっていたようです。本丸は54m×20mの規模 […]
(宍戸氏家臣)三十人の墓の感想 安芸国の毛利元就と周防国の陶晴賢との『厳島合戦』の前に、毛利氏の家臣に宍戸孫六と呼ばれる武将が海老山に城を築いたと云われております。陶氏は3万の軍勢で毛利氏との合戦に備え、海老山城にあった『宍戸氏館跡』を攻め、宍戸氏の家臣三十名の尊い命が犠牲になった様です。亡くなった家臣の遺骸は海老山に土葬され、埋葬された後に村民により墓石が建てられました。今でも桜の木の下には当時 […]
宍戸氏館跡の感想 現在の広島市佐伯区にある海老(『えび』ではなく『かいろう』と呼びます)山城(現在は海老山公園)に、毛利氏の親族筋となる宍戸氏(宍戸隆家は毛利元就の長女と結婚)が厳島合戦の前に築かれたと云われています。『海老山城』は当時、陸から少し離れた比高50mほどの独立台地(小島)だった様で、『宍戸氏館跡』は海側ではなく陸側に築かれていた館だった様です。 宍戸氏館跡画像ギャラリー 最寄り駅はJ […]
鞆城の感想 『鞆城(ともじょう)』は現在の広島県福山市にある『鞆の浦』と云うめちゃくちゃ雰囲気のいい港町の面影を残した場所にあります。私は広島出身なのですが『鞆の浦』と云えば昔から古き良き港町のイメージがあり、今でも是非皆様に行って欲しいスポットのひとつです!!!(^▽^)/ 『鞆城』を私が知ったのは、戦国時代、織田信長に京を追い出され足利義昭が毛利氏を頼って辿り着いた場所がここ鞆の浦と云われてい […]
竹原小早川家墓地の感想 竹原小早川家の墓地が手島屋敷跡のすぐ近くにありました( `ー´)ノ そこには『竹原小早川家墓地』の案内板があり、それによると・・・『宝篋印塔約10基、五輪塔約20基ほどある様です。あらためて木村城の西北の方角にあたる場所にあり竹原小早川家の墓所として間違いないようです。。。殆どが中世末期の様式らしく、墓所から一段高い尾根上にある二基の宝篋印塔は、小早川隆景(毛利元就の三男) […]
手島屋敷跡の感想 木村城のすぐ近くに『手島屋敷跡』があります♪『手島屋敷』はかって『西殿(にしんどん)屋敷』と呼ばれており、竹原小早川家の居館であったようです。(戦になり籠城する時は木村城を詰城として使っていたんじゃないかと思います) 竹原小早川氏の当主となった小早川隆景が、1550年に本家の沼田小早川家も継ぐことになり、沼田小早川家の本城の高山城に入城した際に家臣の手島氏がこの屋敷を賜り受け継い […]
木村城の感想 『木村城』は、相模国を本拠地としていた桓武平氏の土肥氏であった土肥実平が源頼朝に支え、源平の合戦後土肥実平の子遠平が安芸国沼田(ぬた)荘の地頭職となり拝領し、これを譲られた養子の影平が安芸国に移住した事から始まります。土肥氏は出身の相模国早河荘から名をとって土肥氏から小早川氏と名を変えたらしく、当初は沼田川が流れる場所に『高山城』を築き本城としたが、1258年に本城だった本郷沼田庄の […]
高山城の感想 高山城は相模国早河荘に所領を持っていた土肥実平が、安芸国沼田荘に地頭として入部したことに始まるり、早河荘からの地名から『小早川』と名乗ったのが始まりとされたと云われています。1206年に小早川茂平が高山城を築き居城としたとされ、後に茂平の三男、小早川雅平が沼田荘を引き継ぎ本家筋とし、四男の小早川政景が都宇竹原荘へ移り住み分家として木村城を築いたとされています。のちに本家の『沼田小早川 […]