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武田信玄公墓所(山梨県)

武田信玄公墓所の感想 武田信玄公の菩提寺である乾徳山 恵林寺(けんとくさんえりんじ)に『武田信玄公墓所』があります。この 恵林寺は1582年に織田信忠を総大将とする甲州征伐として甲斐武田家を滅ぼした時に、恵林寺を織田軍が焼き討ちすると燃え盛る恵林寺で快川和尚が織田軍に屈することなく『安禅不必須山水 滅却心頭火自涼 = 心頭滅却すれば火も自ら涼し』の辞世を残し焼け死んだとされる寺です( `ー´)ノ […]

連方屋敷跡(古屋氏館跡)(山梨県)

連方屋敷跡(古屋氏館跡)の感想 どこのどいつか築いた館跡なのかわかりませんが、案内板の説明と後でモロモロ調べてみたら、戦国時代の時に甲斐武田氏の蔵前衆(甲斐武田家でいう蔵前衆は『金・銀』『米穀』などの重要な蔵を管理する役職)だった古屋(ふるや)氏の館であったと思われ、私はあえて連方屋敷跡の後に(古屋氏館跡)と記載させて頂きました(。-_-。) 連方屋敷跡はきれいに当時を教えてくれるメチャクチャ素敵 […]

新田義貞誕生地/台源氏館跡(群馬県)

新田義貞誕生地/台源氏館跡の感想 新田宗家の館があったところで4代目の新田政義が築城したと言われています。築城時期は不明ですが、新田義貞が8代目なので、平安末期から鎌倉時代初期ごろですかね?台源氏館と言われているのは、館の場所が「台(だい)」と言われていた場所で、そこから新田氏をこの土地の人たちが台源氏と読んだことで台源氏館というらしいです。 説明版にも書かれていますが、誕生地は諸説あるみたいでこ […]

岡部六弥太忠澄の墓(埼玉県)

岡部六弥太忠澄の墓画像ギャラリー 岡部六弥太忠澄は平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した武蔵武士です。岡部氏は武蔵七党のひとつ猪俣党に属し、祖父の猪俣六太夫忠綱が岡部に居住して岡部を称したことにはじまると云われてます。岡部六弥太忠澄は源義朝(源頼朝の父親)の家人として保元・平治の乱に活躍したみたいです。源平盛衰記には『待賢門(たいけんもん)の戦い』で熊谷直実、斎藤実盛、猪俣小平六など源氏十七騎のひ […]

本庄城(埼玉県)

本庄城の感想 本庄城は武蔵七党のひとつ児玉党の本庄氏が築いた城と云われています( `ー´)ノ本庄城は本庄実忠が古河公方を迎え討つために築いた平山城で1556年に築城したみたいですね。1567年には後北条氏に攻められ落城し本庄氏は後北条氏の傘下に入ります。1590年に豊臣秀吉の小田原征伐が始まると本庄氏は後北条氏の要請に応え小田原城に入ります。小田原城が豊臣秀吉に降伏し開城させられると、本庄氏は自害 […]

安田義定一族之墓/安田氏五輪塔付宝篋印塔(山梨県)

安田義定一族之墓/安田氏五輪塔付宝篋印塔の感想 安田義定館跡から約1.8km先に『安田義定一族之墓』があります( `ー´)ノ 安田義定館跡にも記載しましたが、安田義定の嫡男の安田義資は越後守に任じられるなど、父子ともども長く鎌倉幕府を支えた安田一族でしたが、建1193年に安田義資が艶書を女房の聴聞所へ投げ入れたと鎌倉幕府から言い掛かりをつけられ安田義資は梟首させられ、安田義定も縁坐で所領を没収され […]

安田義定館跡(山梨県)

安田義定館跡の感想 皆さんは安田義定をご存知ですか? 私は知りませんでした・・・(゚д゚)山梨県をブラブラしてて安田氏の存在を知りました。 安田氏は甲斐源氏の祖と云われる源義光の孫の源清光の子だとされている様です。(甲斐源氏はここで武田冠者と逸見冠者に分かれるようです) 安田氏は元々甲斐国に土着した一族で、甲斐源氏が甲斐国に流れてきて土着すると峡東地域に勢力を持っていた古代在庁官人だった三枝氏の勢 […]

武田信廉(武田信綱)の墓(山梨県)

武田信廉(武田信綱)の墓の感想 どっちなんだろう・・・マップ上では『武田信綱(武田信廉)の墓』とあるのですが、個人的には信綱よりも信廉かと思いますので逆に表記しました。(入道した時には信綱なんで信綱が前に来ているんですかね???) 武田信廉は信虎の6男であり、兄の武田信玄が父の信虎を駿河国に追放後、諏訪国に侵攻し支配をするのですが、諏訪国統治を確立しつつあった頃、武田方に謀反を起こした諏訪西方衆( […]

川田館跡(山梨県)

川田館跡の感想 川田館跡は武田信玄の父、武田信虎が1519年に『つづじヶ埼』に館を移すまで、甲斐国統治の中心とした居館だったとされ、武田信虎の祖父の武田信昌が館を築いたとされています。幼年期に武田信虎は『川田五郎』と名乗っていたみたいなので、ここ川田館が守護館であった可能性が高いんじゃないかなぁ~って思います。今は畑になっていますが、当時は水源にも恵まれて広大な館であったんじゃないかと思います。周 […]

金窪城(埼玉県)

金窪城の感想 金窪城は1177年~1181年頃に武蔵七党と呼ばれる武士集団のひとつ丹党の加治家季が築いた城と云われておりますが、案内板を読んだら新田義貞が金窪城を築き家臣の畑時能が金窪城を居城とさせたとも書いてありますねぇ~(‘◇’)ゞ武蔵七党の加治氏はもっと南の入間・飯能の地域が勢力下なのでここまで離れた場所に金窪城を築くのは何かしらの理由があったのか不思議な感じがします […]

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