安田義定館跡(山梨県)

安田義定館跡(山梨県)

安田義定館跡の感想

皆さんは安田義定をご存知ですか? 私は知りませんでした・・・(゚д゚)
山梨県をブラブラしてて安田氏の存在を知りました。

安田氏は甲斐源氏の祖と云われる源義光の孫の源清光の子だとされている様です。
(甲斐源氏はここで武田冠者と逸見冠者に分かれるようです)

安田氏は元々甲斐国に土着した一族で、甲斐源氏が甲斐国に流れてきて土着すると峡東地域に勢力を持っていた古代在庁官人だった三枝氏の勢力が衰退すると、義定は盆地東部に進出し旧族安田氏を継承し安田義定と名乗ったとされています。

安田義定は甲斐源氏の一族らしく平家討伐にも大奮闘し甲斐源氏一族と行動に共にしています。源頼朝と甲斐源氏の軍勢が平家方の平維盛の追討勢を撃破した『富士川の戦い』では甲斐源氏の源信義と共に相手の背後を襲い撃破したなどの武功をあげています。
源頼朝から安田義定は遠江国守護に任命され、1183年には木曽義仲が信濃・越後の軍勢を率いて北陸道から上洛しているが、安田義定も平家追討使として東海から上洛する。後白河法皇と木曾義仲とが反目しあうと1183年に源義経軍に合流し木曽義仲を討伐します。(宇治川の戦い)
その後も源義経と行動を共にして、一ノ谷の戦いでは、源義経の搦め手軍に属し平経正・平師盛・平教経を討ち取るなどさらに武功をあげ、1189年の奥州合戦の際には武田信光らと従軍している。

そんな中、鎌倉幕府が安定しだすと甲斐源氏の武勇はどんどん危険分子と見られてしまい、安田義定の子の安田義資が院の女房に艶書を送った罪で斬られ、安田義定も所領を没収されてしまいます!?同時に遠江国守護職も解職され1194年に安田義定は謀反の疑いで梟首されてしまいました。享年61歳です(´;ω;`)ウゥゥ

それにしても・・・源頼朝・・・本当に恐ろしいやつです!

安田義定館跡画像ギャラリー

現在の『西願寺』が安田義定の館跡と云われていますが…正直何も残っていませんでした!

安田義定館跡情報

築 城不明(鎌倉時代)
城 主安田氏
住 所山梨県山梨市小原東390
種 別平城
廃 城不明
特 徴
入場料無料
営業時間
駐車場有り(無料)

安田義定館跡へのアクセス

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