新田義貞誕生地/台源氏館跡(群馬県)

新田義貞誕生地/台源氏館跡(群馬県)

新田義貞誕生地/台源氏館跡の感想

新田宗家の館があったところで4代目の新田政義が築城したと言われています。築城時期は不明ですが、新田義貞が8代目なので、平安末期から鎌倉時代初期ごろですかね?
台源氏館と言われているのは、館の場所が「台(だい)」と言われていた場所で、そこから新田氏をこの土地の人たちが台源氏と読んだことで台源氏館というらしいです。

説明版にも書かれていますが、誕生地は諸説あるみたいでここ含め他にも2、3新田義貞と弟の脇屋義助誕生地とされているみたいです。
群馬県の人なら知らない人はいないと思いますが、一応簡単に新田義貞について説明すると、この群馬県、上野国から後醍醐天皇の勅使を受けて鎌倉幕府討幕に向けて挙兵します。最初は150騎とも言われていますが、とても少数で鎌倉に向かい、道中で戦いながらも兵を増やして、鎌倉に到着した時は20万騎にもなっていたと言われています。ほんとか!?と思ってしまいますが、人数はさておき、鎌倉幕府を見事倒し第14代執権 北条高時を自害に追い込みました。たぶん一般的には足利尊氏じゃないの?と思う人も多いと思いますが、鎌倉幕府そのものを攻めたのが新田義貞、天皇のお膝元、京都で幕府の六波羅探題(ろくはらたんだい)を攻め落としたのが足利尊氏になります。

鎌倉幕府滅亡後に新田義貞は足利尊氏と争うことになり、南北朝に別れ南朝方として奮戦するも最終的には福井県で命を落とします。

別の記事でまたあらためて紹介しますが、そんな新田義貞の家系、新田氏の支流として徳川家があり、戦国時代に天下人の徳川家康を輩出することになります。徳川家としてはこの群馬県の新田荘と言われたところが発祥になっています。徳川家康がそもそも新田氏と関係ないとかの異論はあると思いますが。。笑

新田義貞誕生地/台源氏館跡画像ギャラリー

住宅街の中に突然現れる感じです。特に城跡や公園といったほどの広さはないです。

新田義貞誕生地/台源氏館跡情報

築 城不明(平安時代末期?)
城 主新田氏
住 所群馬県太田市由良町1556
種 別平城
廃 城不明
特 徴
入場料無料
営業時間
駐車場無し

新田義貞誕生地/台源氏館跡へのアクセス

新田義貞誕生地/台源氏館跡レビュー

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