根城(青森県)
根城の感想 根城は南北朝時代、南朝方の武将 南部師行(もろゆき)が同じく南朝方の武将 北畠顕家が陸奥国司として義良親王を奉じて陸奥国に下向した際に国代として伴に陸奥に下向し、建武元年の1334年に『陸奥における南朝方と南部氏の根本となる城』という願いから『根城』と名付け築城して以来、領地替えまでの約300年間、八戸地方の中心として栄えました。その願い通り、根城を拠点に根城南部氏や八戸南部氏となり二 […]
根城の感想 根城は南北朝時代、南朝方の武将 南部師行(もろゆき)が同じく南朝方の武将 北畠顕家が陸奥国司として義良親王を奉じて陸奥国に下向した際に国代として伴に陸奥に下向し、建武元年の1334年に『陸奥における南朝方と南部氏の根本となる城』という願いから『根城』と名付け築城して以来、領地替えまでの約300年間、八戸地方の中心として栄えました。その願い通り、根城を拠点に根城南部氏や八戸南部氏となり二 […]
三戸城の感想 三戸(さんのへ)城です。通称は留ヶ崎城とも言いますが、ここでは三戸城で行きます!三戸城はもともと家臣が放火して焼け落ちた城に、南部23代目当主 南部晴政があらためて三戸城を築かせ、勢力拡大と共に大規模な城と家臣たちの収集に利用した城だと言われています。当時の南部は二戸・七戸・八戸・九戸などに別れておりその南部一族の統一と、陸奥の雄である安東氏との争いや、大浦・九戸の南部からの独立阻止 […]
蔵王堂城の感想 蔵王堂(ざおうどう)城は南北朝時代に北朝方だった中条氏が本陣を構えてから砦?城?になったとされています。元々は寺院か何かだったんでしょうかね?その後、長尾為重が本格的な縄張りを行い上杉家の家臣が代々入城し、上杉家が越後から会津移封するまで続いたようです。 上杉家が移封後、越後に新たに入国したのが堀秀治が一族で秀治の弟、堀親良がこの地に入り初代蔵王堂藩の初代藩主となり居城としていたよ […]
本与板城の感想 本与板(もとよいた)城は直江兼続で有名な直江氏の居城です。もともとは新田氏が築城したと言われており、その後は越後国守上杉氏の重臣の飯沼氏入城する。1507年に越後守護上杉房能と越後守護代長尾為景が戦った『永正の乱』で長尾為景が飯沼氏を攻め滅ぼし、長尾氏の家臣であった直江実綱(景綱)が城主となった。 本与坂城は中央に実城(本丸?)があり、西側には二の郭や三の郭、南側には二重になる南郭 […]
長浜城の感想 長浜城は静岡県沼津市の伊豆方面にある長浜・重須(おもす)湊を含む西浦7カ村(重寺・三津・長浜・重須・木負・久連・平沢村)を守るために築かれた城の様であり、現在の海賊城になったのは当初伊豆を支配した北条早雲の時代ではなくて、三代目氏康・四代目氏政の時代に本格的な水軍強化のために築城された城ではないかと思います。二代目氏綱時代から本格的に戦うようになった里見氏(安房)にも対抗するように、 […]
梅戸城の感想 今回は三重県いなべ市にある梅戸城に訪問してきました。梅戸城は戦国時代に梅戸高実(うめどたかざね)が築城したお城です。梅戸高実は六角高頼(ろっかくたかより)の子で養子として梅戸家に入ります。六角氏は近江の守護などを勤めた由緒ある家系です。梅戸氏は北勢四十八家の一つで北勢四十八家は伊勢の有力な国人を指す言葉で実際には53家ありました。梅戸氏は高実の息子、梅戸実秀の時代に織田信長の北伊勢侵 […]
津幡城の感想 津幡城は津幡小学校旧校舎の敷地内にあったため現在遺構と言えるものはほとんど残っていませんでした。津幡城は倶利伽羅合戦の平維盛(たいらのこれもり)の配下の者がここに布陣して砦を作ったのが最初と言われております。その後、上杉謙信が七尾城攻略の砦としてこの地を使用し、1583年に前田秀継が越中への備えとして津幡城に入り、越中も前田利家の支配下となり必要がなくなったので廃城になったお城になり […]
松任城の感想 今回は石川県白山市にある松任城(まっとうじょう)を訪問してきました。お城としては有名ではありませんが、一向一揆の時の一向宗松任組の旗本(武将)の城として歴史的にも重要なお城になります。松任城は現在はJR松任駅前の公園として残されています。残されている部分は城全体ではなく本丸跡になりますので公園としてもそれほど大きなものではありません。当時は手取川の扇状地をいかした水堀などがあるお城で […]
伊勢田辺城の感想 伊勢田辺城は木造長政(こづくりながまさ)が1586年に築城したお城です。木造氏は代々織田家に仕えてきた家臣の一つで、非常に活躍した武将の一人です。織田信雄と家康VS秀吉が戦った小牧・長久手の戦い後に戸木城を廃城にしてこの田辺城に移ってきたとのことです。その際に所領も1万石ほどに加増されたようです。その後も織田秀信の家老、関ヶ原後は敵だった福島正則に仕えることとなります。敵にも必要 […]
武蔵松山城の感想 西から西南に流れる市野川を天然の堀として、周りと比べると丸く亀のような丘のような山があります。『武蔵松山城』です!愛媛や岡山とかなどなどの松山城がたくさんあるので、ここでは『武蔵(むさし)松山城』』と書かせてもらいます。またの名を『武州(ぶしゅう)松山城』とも言います。 武蔵松山城は現在(2022年)の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に登場する比企(ひき)氏の比企氏城館跡群にあり、比 […]