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真田城 / 眞田城(神奈川県)

真田城の感想 相模岡崎城からクルマで約10分(徒歩だと1時間ぐらいかな?約3.6㎞)の場所にあるのが『眞田城』です。我々の中では『真田氏』と云えば信州上田の真田氏なのですが、この相模国にも真田がいたんですね~調べると、この真田は相模岡崎城の三浦氏の流れの様で、岡崎義実(義実は三浦義明の弟)の子の岡崎義忠がこの真田の地に移り住み、岡崎氏から真田氏(真田・眞田・佐奈田・佐那田・実田とも呼ばれているので […]

足利城/両崖山城(栃木県)

足利城(両崖山城)の感想 藤性足利氏の初代、足利成行(あしかがしげゆき)のお城になります。築城はなんと西暦1054年と1000年以上も前に築城されたお城。両崖山は高さは258.6mとそれほど高い山に感じませんが実際はかなりの険しい岩山の上にあるお城になります。遺構的なものは本丸以外あまりよくわからないですが、二の丸、馬場、武者走りなどがあるようです。この足利城は戦国時代には足利長尾氏のお城として使 […]

土屋一族の墓 / 土屋氏発祥の地(神奈川県)

土屋一族の墓 / 土屋氏発祥の地の感想 土屋城から少し下ったところに『土屋一族の墓』と『土屋氏発祥の地』があります(〃艸〃)ムフッ 土屋氏は、鎌倉幕府の御家人として活躍した土屋弥三郎宗遠らしく、この地域(中村郷)を支配していた中村宗平の三男みたいですね。土屋弥三郎宗遠は源頼朝に厚い信頼を持たれていた武将だったらしいです。運命が大きく変わったのが1416年(応永23年)に起きた『上杉禅秀の乱』でした […]

土屋城(神奈川県)

土屋城の感想 神奈川県って意外と面白いですね~(^▽^)/♪鎌倉幕府が設立され、全国に鎌倉(相模国や駿河国)から全国に代官で移り住んで各地を支配していったんだなって思います。。。 土屋城です!!!(o^―^o)ニコ 土屋って聞いてあれ?って思う人が多いと思います。そうです!武田氏の家臣で有名な『土屋氏』です。ここは『土屋城』とも『土屋三郎宗遠館』とも云われ、周りの状況から見れば小高い丘の上に築かれ […]

中居城(茨城県)

中居城の感想 勝手に『南方三十三館シリーズ』第5弾!!!『中居城』です(^▽^)/ 佐竹義重・義宣親子を調べてて、常陸国を治めるにあたって居城だった太田城から水戸城へ移す際に、秀吉の天下の中、未だ従わなかった常陸国の武将たちを太田城に呼び、騙し討ちで皆殺しにした(中には逃げ出せた武将もいましたが後で滅ぼされています)話が合って、その対象が『南方三十三館(なんぽうさんじゅうさんだて、なんぽうさんじゅ […]

木崎城(茨城県)

木崎城の感想 勝手に『南方三十三館シリーズ』第4弾!!!『木崎城』です(^▽^)/ 佐竹義重・義宣親子を調べてて、常陸国を治めるにあたって居城だった太田城から水戸城へ移す際に、秀吉の天下の中、未だ従わなかった常陸国の武将たちを太田城に呼び、騙し討ちで皆殺しにした(中には逃げ出せた武将もいましたが後で滅ぼされています)話が合って、その対象が『南方三十三館(なんぽうさんじゅうさんだて、なんぽうさんじゅ […]

武田氏発祥の地/武田氏館(茨城県)

武田氏発祥の地/武田氏館の感想 甲斐武田氏発祥の地へ行ってきました。甲斐武田氏と言えば誰でも知ってる武田信玄ですが、その武田氏のルーツを辿るとなんと茨城県ひたちなか市に辿り着きます。ちなみにその甲斐で武田を名乗るきっかけになったのが鎌倉時代まで遡りますが、新羅三郎義光(源義光)になります。実際に武田を名乗ったのは義光の息子「義清(よしきよ)」の代からです。ちなみに甲斐源氏の祖である新羅三郎義光(源 […]

札城(茨城県)

札城の感想 勝手に『南方三十三館シリーズ』第3弾!!!『札(ふだ)城』です(^▽^)/ 佐竹義重・義宣親子を調べてて、常陸国を治めるにあたって居城だった太田城から水戸城へ移す際に、秀吉の天下の中、未だ従わなかった常陸国の武将たちを太田城に呼び、騙し討ちで皆殺しにした(中には逃げ出せた武将もいましたが後で滅ぼされています)話が合って、その対象が『南方三十三館(なんぽうさんじゅうさんだて、なんぽうさん […]

烟田城(茨城県)

烟田城の感想 勝手に『南方三十三館シリーズ』第2弾!!!『烟田(かまた)城』です(^▽^)/ 佐竹義重・義宣親子を調べてて、常陸国を治めるにあたって居城だった太田城から水戸城へ移す際に、秀吉の天下の中、未だ従わなかった常陸国の武将たちを太田城に呼び、騙し討ちで皆殺しにした(中には逃げ出せた武将もいましたが後で滅ぼされています)話が合って、その対象が『南方三十三館(なんぽうさんじゅうさんだて、なんぽ […]

小幡城(茨城県)

小幡城の感想 出会いは偶然でした・・・佐竹義重・義宣親子を調べてて、常陸国を治めるにあたって居城だった太田城から水戸城へ移す際に、秀吉の天下の中、未だ従わなかった常陸国の武将たちを太田城に呼び、騙し討ちで皆殺しにした(中には逃げ出せた武将もいましたが後で滅ぼされています)話が合って、その対象が『南方三十三館(なんぽうさんじゅうさんだて、なんぽうさんじゅうさんやかたと呼ぶみたい)』となり、鹿島・行方 […]

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