新羅三郎義光公御菩堤所・源義光(山梨県)
新羅三郎義光公御菩堤所の感想 『新羅三郎義光公御菩堤所』は1127年、甲斐源氏の始祖である新羅三郎義光(源義光公)の菩提を弔うためにその子義清によって創立された菩提寺です。当初は天台宗のお寺で高根町にあったようですが、1430年に現在地に移転し曹洞宗に改宗したようです。現在の場所を説明すると中央自動車道須玉バイパスから国道141号を清里方面に上ってすぐ左側に見えます。甲斐武田氏のスタートとなった […]
新羅三郎義光公御菩堤所の感想 『新羅三郎義光公御菩堤所』は1127年、甲斐源氏の始祖である新羅三郎義光(源義光公)の菩提を弔うためにその子義清によって創立された菩提寺です。当初は天台宗のお寺で高根町にあったようですが、1430年に現在地に移転し曹洞宗に改宗したようです。現在の場所を説明すると中央自動車道須玉バイパスから国道141号を清里方面に上ってすぐ左側に見えます。甲斐武田氏のスタートとなった […]
小山城の感想 山梨県笛吹市八代町にある小城の小山城です。一応、笛吹市指定史跡に指定されていますが・・・草ボーボーですわ!(´;ω;`)ウゥゥ 小山城の築城ははっきりしていないようですが、1459年(宝徳2年)ごろには河内領を有する穴山氏の穴山伊豆守がこの城に入城していたらしく、同族の武田信重と敵対していたとされています。甲斐盆地の南東に位置する小山城は若彦路と鎌倉街道に隣接する交通の要衝で、小山城 […]
壁田城の感想 壁田城(へきだじょう)へ行ってきました。かなり上の方まで車で行けるので比較的登頂の楽な山城です。壁田城は高梨氏のお城として甲斐の武田信玄に対抗するために使われていたお城のようです。高梨氏は信州の中野市周辺を治めていた豪族で武田氏に対抗するために上杉謙信方に付き、また高梨政頼の時代には武田が攻めてくるまで同じ信濃の領有権を争って戦っていた村上義清と手を組んで武田信玄を撃退したこともある […]
若神子城の感想 若神子城へ行ってきました。この周辺は武田氏発祥の地とも言われている地域で、武田氏の祖と言われる、源義光(新羅三郎義光)が築いたと言われているお城が若神子城になります。武田氏の流れとしては、源義光→2代目源義清→3代目源清光の時に逸見氏(へみ)を名乗ります。→4代目信義になり、武田神社で元服し武田信義を名乗るようになり武田氏が成立します。若神子城は棒道と佐久往還が分岐する要地で、信濃 […]
有馬晴信の謫居(たっきょ)/自害の跡の感想 少し歴史に詳しい人からすれば違和感を感じるかもしれません。有馬晴信は九州の武将で、肥前国日野江藩初代藩主であり九州動乱の中で勢力を拡大した大名のひとりです。叔父に大村純忠がいるなどキリシタン大名として有名です。(当初は有馬晴信はキリシタンを毛嫌いしていたのですが途中で洗礼を受けキリシタン大名になったらしいですね) 当初は肥前守護職の大友宗麟に従い勢力を拡 […]
武田勝頼(夫人/信勝 )生害石の感想 前回の武田勝頼/夫人/信勝の墓からの流れで、同じ景徳院内に3名の生害(自害)した場所があります。3名がお互いに生害石(その石の上に座って自害した場所)がありました。何とも言えない気持ちが湧き出てきて、苦しさがたくさんあったと思うのですが、その時の疲れと諦めと切なさと・・・複雑な気持ちが入り乱れていたと容易に想像がつきます。 是非!皆さんも足を運んで感じて頂けれ […]
武田勝頼公(夫人/信勝)の墓の感想 前回の続きから・・・織田軍の総攻撃に未完の新府城を焼き払い撤退を余儀なくされた武田勝頼は、当初、親族の小山田信茂の岩殿城を目指し共に撤退を行うが、途中、この小山田信茂に裏切られ岩殿城への入城(小山田領地への入国?)を拒否されてしまうため、武田家とゆかりのある天目山棲雲寺(せいうんじ)を目指し、この甲州街道(国道20号線)から外れ現在の県道218号線の日川沿いを進 […]
武田勝頼公腰掛石の感想 地図を眺めながら・・・『天目山』ってどこなんだよ?ってふと疑問に感じました。武田勝頼さんは説明いらないぐらいの有名な方ですよね。あーじゃーこーじゃーありましたが、武田信玄の跡を継ぎ、戦国最強の武田軍団のTOPとなった武田信玄の四男です。結果的に武田を滅ぼしてしまうので賛否あると思うのですが、俺個人的には非常に能力の高い戦国武将だったので武田を継いだ武将だと思っています。 歴 […]
於曽屋敷跡の乾燥 今は公園として整備されていますが、しっかりと土塁・堀の跡を残しています。於曽(おぞ)屋敷跡です。於曽屋敷は甲斐源氏の祖となった源義光の子である義清の四男であった、加賀美遠光(かがみ とおみつ)が加々美荘を支配したことから始まるようです。当初、この一帯は旧豪族の三枝一族が支配していたが、甲斐源氏であった加賀美遠光の四男光経と五男光俊がこの地を支配し於曽氏と称したようです。於曽氏の創 […]
武田信春館の感想 武田信春は武田家の9代目当主で、武田信玄の7代前の当主になります。どのような活躍をしていたのかはあまりわかっていないようですが、甲斐国の守護で1413年に亡くなったとされています。現在は慈徳院と言うお寺になっており、信春の菩提寺でもあります。館としての遺構はほぼ無く、標柱がなければ館跡であることも正直わからない場所です。 武田信春館画像ギャラリー 武田信春館情報 築 城 不明 城 […]