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神辺城(広島県)

神辺城の感想 南北朝時代から江戸時代初期まで存在し備後国の中心であったと思われる『神辺(かんなべ)城』です。黄葉山に築かれた城で神辺平野を見渡せ、神辺平野に点在するように他にも名もない城がたくさん点在しています。ただ、近年は研究が進み現在では神辺城も備後国に於ける政治の中心からは外れた存在であったと言われるようになっています。私が心から愛する毛利元就の数多くの本を読んでいても必ず出てくる山城で、山 […]

田丸城(三重県)

田丸城の感想 田丸城です!南北朝時代に伊勢近辺に勢力を誇った北畠親房と北畠顕信によって築かれた平山城です。北畠氏の系列である田丸直昌は織田信長の侵攻に伴い、北畠具教(とものり)の養子になっていた信長の次男織田信雄(のぶかつ)に譲って信雄が田丸城に入城しました。田丸城は信雄の居城として1575年に改築され、三層の天守を備えた大規模なお城に生まれ変わり、織田氏の伊勢支配の中心拠点となりました。1584 […]

備中高松城(岡山県)

備中高松城の感想 高松城とはありますが、現在の岡山県に存在する備中高松城(四国ではありません!)です。備中高松城は豊臣秀吉(若しくは黒田官兵衛)の代名詞にもなった『水攻め』で攻め滅ぼされた城で、その後、小田原征伐の時に秀吉の側近、石田三成が北条方の成田氏が守る忍城を備中高松城と同様に水攻めを行い大失敗し、小田原征伐で唯一北条方のお城を落とせなかった城として、石田三成の戦下手のレッテルが張られるぐら […]

新高山城(広島県)

新高山城の感想 新高山城です!新高山城は小早川隆景がもともと小早川(沼田小早川)の居城であった高山城から、新たに築城し居城を移した城です。因みに・・・皆さんは『しんたかやまじょう』とお読みと思いますが、正確には『にいたかやまじょう』が正しい城名の様ですね!名将、小早川隆景が高山城から沼田川を挟んで向かい側に堅固な山城を築いたのは、当時、瀬戸内海の海賊の力が凄かったので安全のために海から少し離したの […]

滝山城(東京都)

滝山城の感想 八王子城から約10㎞・・・北条氏照が拡張した滝山城です!拡張って・・・なぜかというと、滝山城はもともと山内上杉家の重臣、武蔵国守護代の大石定重が築いたとされています。1546年に北条氏康があの日本三大奇襲といわれる『河越城の夜戦』を仕掛け見事大勝利!!!扇谷上杉氏を滅ぼし、山内上杉氏を武蔵から勢力を排除したため、大石定重は北条氏康の軍門に降ります。大石定重の後を継いだ大石定久は北条氏 […]

八王子城(東京都)

八王子城の感想 関東での屈指の山城である『八王子城』です。関東制覇を目論む北条(後北条)氏が小田原城の支城とした築いた城で、築城は北条氏照(北条氏康の三男)といわれており、そうとう思いを込めてこの壮大な山城を築城したと思われます。北条氏照は当初、有力豪族であった由井領主の大石氏の娘を娶り養子として入り、北条氏ではなく大石氏を名乗っていたこともあり、この地域は武田からの侵略を防ぐため重要な役割を氏康 […]

三原城(広島県)

三原城の感想 三原城は1567年に小早川隆景(こばやかわたかかげ)が築城したお城です。小早川隆景は毛利元就(もうりもとなり)の三男で関ヶ原で有名な小早川秀秋(こばやかわひであき)のお父さんになります。秀秋は養子なので隆景の嫡男ではありません。三原城は現在残っているのは天守台と舟入櫓跡など一部なのですが、一番驚いたのは電車の駅と一体化していることです。実際天守台に行くには駅の構内から階段を登ります。 […]

明石城(兵庫県)

明石城の感想 JR明石駅でホームに着くともう目の前に明石城が見えるというロケーション。アクセスはとてもしやすくて見学しやすいお城でした。明石城は小笠原忠政(忠真)が築城したお城です。1617年の築城ですので関ヶ原後のお城になります。小笠原忠政は現在の茨城県古賀市にある古河城に生まれ、長野県の松本藩(松本城)などを経て明石城に入りその後は福岡県北九州の小倉城に入るという生涯を送った大名になります。戦 […]

亥鼻城/千葉城(千葉県)

亥鼻城の感想 千葉県千葉市にある亥鼻城(千葉城)に行ってきました。千葉県庁の近くにある亥鼻城は千葉市のシンボルでもあるお城です。天守閣のような建物が立っておりますが、これは千葉市立郷土博物館で天守閣ではありません。そもそも亥鼻城に天守閣は元々あったわけではないのであくまでも観光的な意味合いが強い建物ですね。ただ、郷土資料館もお城のある亥鼻公園も無料で入れるので気軽に行けて良い場所だと思います。亥鼻 […]

寺尾城(神奈川県)

寺尾城の感想 神奈川県横浜市にあった寺尾城址へ行ってきました。現在はほぼ何も残っていないお城になりますが、平成5年12月に発掘調査を行い空堀から宝永年間に噴火した富士山の火山灰が発見され18世紀初頭には堀が埋まっていたことがわかったとの記述が案内板にありました。普通の公園となってしまっており、土塁や竪堀があるとのことですが、どこが遺構なのか判別つきませんでした。お城の歴史ですが、戦国時代に後北条氏 […]

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