鎌倉時代

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高見城 / 四ツ山城 / 四津山城(埼玉県)

高見城 / 四ツ山城 / 四津山城の感想 高見城 / 四ツ山城の築城年代や築城者は不明ですが、太田道灌が1480年に書いた書状に『高見』『高見在番衆』というのがあったらしく、その名が登場することからこの年頃には築かれていたんじゃないかなぁ~!?!?って云われています(〃艸〃)ムフッ現在の小川町駅(東武東上線?)から約3.5km北方面、比企丘陵(ひききゅうりょう)最北部の丘陵部・四津山(標高197m […]

源実朝公御首塚(神奈川県)

源実朝公御首塚の感想 三代目の鎌倉殿(鎌倉幕府第三代目征夷大将軍)である源実朝がこの秦野市に『首塚』がありました。実朝は兄の頼家が追放されると12歳で鎌倉殿となり執権の北条氏に支えられ成長していきます。源実朝は朝廷に重んじられ官位の昇進も早く、若くして公卿(くぎょう)に補任され、その後、武士として初めて右大臣に任じられ京との繋がりも強くなります。1219年、鶴岡八幡宮で右大臣昇進の拝賀の式後、追放 […]

波多野城(神奈川県)

波多野城の感想 神奈川県秦野(はだの)市にある『波多野(はたの)城』です(^▽^)/波多野城は、相模国波多野荘(現在の秦野市)を本領とし、沼田郷・河村郷・松田郷・大友郷などを支配した波多野氏の居城であったとされています。波多野氏(相模国)は古くは平安時代から鎌倉時代にかけて発展した豪族で、坂東武士としては珍しく朝廷内でも高い位を持った豪族であったみたいですね。。。河内国(近畿)の河内源氏の源頼義の […]

藤橋城(東京都)

藤橋城の感想 藤橋城は築城はいつかはわかっていませんが、平山虎吉や藤橋小三郎の居城跡と伝わっています。北条氏照の家臣と云われていますが、そもそも平山氏は武蔵七党のひとつである西党の出身で、源平合戦において名を馳せた平山季重の後裔であると云われています。戦国時代に平山氏の宗家は檜原城を居城とし分流が藤橋城を居城としたとか・・・らしいです。(^▽^)/  ここは東京都青梅市になるのですが、藤橋城に来る […]

勝沼城 / 師岡城(東京都)

勝沼城 / 師岡城の感想 勝沼城は現在の東京都青梅市にある平山城で、鎌倉時代から続く名族三田氏が築いた城と云われています。同じ国人で勢力のあった今井氏が衰退すると三田氏がこの辺一帯に勢力を拡大し国人としては大きくなり、鎌倉時代から約250年以上ここを居城とし三田氏が勢力を持ちますが、小田原から勢力拡大する後北条氏が勝沼城を落城させると、三田氏はさらに西側(山奥)へ約8kmの場所に辛垣城を築き対抗し […]

土肥城(神奈川県)

土肥城の感想 『土肥城』は相模国の有力豪族中村党の中の一族で土肥郷(現在の湯河原町)を本拠としていた土肥実平(どいさねひら)が築いた城とされています。土肥実平は『桓武平氏良文流中村宗平の次男が相模国土肥荘に土地を持ち『土肥氏』を名乗ったため『相模土肥氏』の祖となります・・・私が土肥城の土肥氏が大好きなのは、尊敬する『毛利元就公』の三男の小早川隆景が養子に入った家で、この土肥実平の子の土肥 遠平(ど […]

茅ヶ崎城(神奈川県)

茅ヶ崎城の感想 茅ヶ崎と聞けば・・・『サザン』『夏』『海岸線』的なイメージじゃないですか!(〃艸〃)ムフッなのに!なのに!ですが・・・めちゃくちゃ内陸側(現在の港北ニュータウン近く)で見つけたのがこの城です・・・『茅ヶ崎城』です(^▽^)/~♪♪♪ 現在は公園になっていますが、行ってみて( ゚Д゚)びっくり!?なかなかガチでいけている城跡でしたよ!!!こんな都心っていうか住宅地で最高でした! 行っ […]

益子古城/高館城跡/西明寺城(栃木県)

益子古城の感想 益子古城は益子氏のお城で、高館城(たかだてじょう)、西明寺城(さいみょうじじょう)とも呼ばれています。実際には高館城(西明寺城)と呼ばれている高館山の山頂にあるお城は詰城で平時はこの益子古城で生活していたものと思われております。益子城は南北朝時代には南朝方のお城として北朝方の攻撃を退け続けましたが1352年に関東六城の中で最後に落城したとのことです。ちなみに南北朝時代の関東六城とは […]

阿曽沼城(栃木県)

阿曽沼城の感想 阿曽沼氏は藤姓足利氏の一族で、室町時代などに将軍家だった源姓足利氏とは違う氏族なので注意が必要です。阿曽沼氏は阿曽沼四郎広綱を祖としてこの阿曽沼城のあるこの地域を所領したことで阿曽沼を名乗るようになります。源平合戦の際に本家は平家側に付いたのに対して阿曽沼氏は源氏である源頼朝側について戦い鎌倉幕府の御家人になります。阿曽沼氏は奥州合戦にも参加し、奥州藤原氏を倒した功績で現在の岩手県 […]

鎌田城(静岡県)

鎌田城の感想 鎌田城は1189年に鎌田俊長によって築かれた山城だと云われていますが、はっきりとはわかっていません。。。平治の乱で敗れた源義朝は家臣の鎌田政清(鎌田俊長のお父さん)と共に尾張国に逃亡するが平家側に討たれてしまいます。息子の鎌田俊長は平家の来襲に備える為に鎌田城を築いたと云われているみたいですね。その後、鎌田城は伊東氏の居城となり伊東氏の別の一族は日向国(宮崎)へ下向し一大勢力を築く伊 […]

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