戦国時代(室町・安土桃山時代含む)

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加世田麓(鹿児島県)

加世田麓の感想 加世田麓(かせだふもと)と呼びます。別府城/加世田城の麓にある場所で、簡単に言うと、城下の武家屋敷街だったところをこのように麓と呼んでいるみたいです。麓についての詳細な説明がなかったのでこのように理解しています。 加世田麓以外にも十二の麓があるみたいで幟旗が立てられていました。無料で武家の住宅が見学できるとのことで「旧鯵坂家住宅」に入らせていただきました。ただ、門があていたので入ら […]

別府城/加世田城(鹿児島県)

別府城/加世田城の感想 お城の名前だけ見ると間違えてしまうかと思いますが、こちらは鹿児島県南さつま市にある別府城になります。別名「加世田城(かせだじょう)」とも言います。別府城は1177年に別府忠明によって築城されたお城になります。この別府氏は桓武平氏の流れをもつ家系で、平貞時を祖とする平氏一族とされているようです。別府氏は1177年から1420年まで別府城の城主としてこの地を治めますが、島津家第 […]

丹後中山城(京都府)

丹後中山城の感想 冒頭に言っておきます・・・丹後中山城攻め断念です!!!!( `ー´)ノ 丹後中山城は丹後国守護大名の一色氏の家臣 沼田幸兵衛の居城だったとされ、築城ははっきりされていません・・・1579年に織田軍の細川藤孝・明智光秀軍が侵攻してくると、丹後国守護大名の一色義道は居城の建部山城を支えきれずにこの中山城に退いたとされています。その際に中山城主の沼田幸兵衛が細川氏に内通して逃げ場を失っ […]

宮津城(京都府)

宮津城の感想 宮津城にはてこずりました・・・(ノД`)・゜・。細川(当時は長岡姓)藤孝(名将ですねぇ~♪)が築城した宮津城だったので、めちゃめちゃ興味があり城攻めしてみましたが・・・ほぼほぼ城郭は住宅地として再開発され跡形も無くなっていました・・・(´;ω;`)ウッ…  それでも宮津城の形跡を追い宮津市の市内をあっちに行ったりこっちに行ったり右往左往です!丹後国守護大名の一色氏を滅ぼした細川藤孝は […]

大久保山城 / 大窪山城(京都府)

大久保山城 / 大窪山城の感想 大久保山城/大窪山城は小倉氏が築いた城の様ですが明確にはわかっていません。小倉氏は丹後国守護大名一色氏の傘下にいた国人衆らしく、細川氏と明智氏が丹後国に攻め込み『降参する者は除名する』との投げかけに降参した者の中に『小倉播磨守』が含まれていたとされています。『宮津府志』ではその小倉播磨守の傘下だった野村将監という武将がおり、その野村将監が大久保山城/大窪山城の城主だ […]

稲富一夢斎の墓(京都府)

稲富一夢斎の墓の感想 稲富一夢斎は稲富祐直(いなとみすけなお )といい、初名は直家と云われており『伊賀守』を名乗っていました。 なぜ『伊賀守』かと云えば、稲富氏は、元々は鎌倉時代末期ごるは伊賀国に住んでいたとされ、伊賀国から丹後国に移り住み、当初は『山田氏』と名乗っていましたが移り住んだ土地が『稲富保(いなとみのほ)』と呼ばれる港町だったことから『稲富氏』を名乗った様ですね。祖父の稲富相 […]

内城(鹿児島県)

内城の感想 内城は戦国時代のお城としては珍しく平城であまり戦闘のことは考えていなかったお城と思われます。しかも島津家として50年間も居城にしていたお城と考えると違う意味で島津家の凄さがわかる気がします。内城は島津家の第十五代当主「島津貴久」によって1550年に築城されたお城になります。島津貴久は有名な島津4兄弟(義久、義弘、歳久、家久)の父親になります。この4兄弟があるのも貴久の活躍があってこそで […]

平松城(鹿児島県)

平松城の感想 平松城は蒲生氏が敗れた後に島津義弘が岩剣城の在番を任されて入りますが、岩剣城が山城で普段の生活に使うには厳しい場所にあったために、麓にこの平松城を建てました。お城の築城としては1554年ごろかと思われますが、島津義弘が平松城(屋形)を居館としたのは1605年ごろから1615年ごろまでとされています。1607年に島津義弘の夫人がこの場所で亡くなられているとのことです。島津義弘はその後、 […]

弓木城(京都府)

弓木城の感想 弓木城は丹後国(現在の京都府与謝野町岩滝)にあり、鎌倉時代の末期頃に稲富氏が築いたことから始まったとされいるみたいですね。稲富氏は元々伊勢平氏の流れを組む山田氏だった様で、丹後国に侵攻した際にこの稲富姓を名乗り土着したようです。室町時代になり足利一門の一色氏が丹後国の守護大名となるとそれに従い家臣として務めていた様です。 戦国時代に入ると室町幕府四職筆頭格だった一色家当主の一色義定が […]

鳥取城 / 久松城 / 久松山城(鳥取城)

鳥取城 / 久松城 / 久松山城の感想 鳥取城は1532年~1555年頃に山名氏によって築かれたと云われ、標高263mの久松山の山頂(って云うよりは山全体!?)に築かれた山城です。鳥取城って云いますが、久松山に城が築かれたことから『久松城(きゅうしょうじょう)』『久松山城(きゅうしょうざんじょう)』という別名もあります。ただ、今の鳥取城は江戸時代に入ってから池田輝政の孫の池田光政が鳥取藩32万石の […]

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