空堀

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高清水城(宮城県)

高清水城の感想 1532年〜1555年頃に高清水(高泉)直堅によって築かれたと云われる。 高清水直堅は大崎家第9代目の大崎義兼の三男となります。また一方では大崎(高泉)持家が築城したとする伝えもある様で誰が築城したのかは不明みたいですね。奥羽山脈のから東へ延びる築館丘陵の末端部に位置し、沖積平野(ちゅうせきへいや)に面した標高20m程の緩やかで平坦な微高地に造られていた様ですね! 大崎氏(大崎一族 […]

沢辺館/臥牛館(宮城県)

沢辺館/臥牛館の感想 沢辺(さわべ)館、若しくは、臥牛(がぎゅう)館とも云います。聞きなれない『臥牛』の意味は『伏せて横たわる牛』の姿・カタチを意味している様で、この沢辺館全体がこんもりとした小山に築かれており、その姿が『伏せて横たわる牛』に似ていたのでそのように呼ばれていたんでしょうねぇぇぇ~(`・ω・´)ゞ1199~1201年頃に、葛西氏の家臣だった二階堂常信が衣川より移り住み館を築いたのが始 […]

二子城/飛勢城 (岩手県)

二子城/飛勢城の感想 二子城(ふたごじょう)もしくは飛勢城(とばせじょう)と呼ばれます。二子城は和賀氏の居城(本城)になります。和賀氏はこの北上地方の和賀郡を支配していた武家で、発祥などは諸説あるようですが、鎌倉時代にこの地を領有し、戦国時代末期まで和賀氏の一族が支配していました。約400年くらいにわたり和賀氏の領地となった場所になります。ただ二子城自体は室町時代くらいに移ってきたとされていて元々 […]

孔雀城/孔雀館(秋田県)

孔雀城/孔雀館の感想 孔雀城は先程レポートした土屋館から南へ約3km先に築いた城が孔雀城です(`・ω・´)ゞ 孔雀城の築城は先の土屋館の富樫忠之の子の富樫勝家が築いた城とされており、城と云うよりは『陣屋』のイメージが強い館だったんじゃないかと思います! 土屋館での説明板には『富樫氏は文和年間(1352~55)に加賀国より主従17騎で落ち延び、神宮寺の富樫館に居住していた。永正5年(1508)、富樫 […]

箕冠城/箕冠山城(新潟県)

箕冠城/箕冠山城の感想 日本(漢字)って難しいですなぇ~(=゚ω゚)ノ箕冠城(みかぶりじょう)と読みます!!! 箕冠城は越後国にあり上杉謙信の居城の春日山城や高田城の直ぐ近く、信濃国から越後国に攻められるときの越後国の入口を向かいの山城である鳥坂城と共に抑える非常に重要な位置づけにある山城です。 箕冠城は越後国守護の上杉家の重臣大熊氏が守る重要な城で、上杉謙信の時代には大熊朝秀(おおくまともひで) […]

寺林城(岩手県)

寺林城の感想 寺林城(てらばやしじょう)は鎌倉時代、1279年に河野通重(かわのみちしげ)によって築城されたと言われています。名前だけ見た時に甲斐の武田家臣の河野通重が最後は岩手県に来ていたのか。と思いましたが同名の別の武将でしたね。ただ、伊予国(愛媛県)の河野氏の家系であることはどちらの武将も変わらないので、同じ家系の別時代の同姓同名の武将ということになります。ややこしい笑 でも、鎌倉時代に伊予 […]

高水寺城/斯波御所/郡山城(岩手県)

高水寺城/斯波御所/郡山城の感想 名門奥州斯波氏の居城、高水寺城(こうすいじじょう)です。斯波御所とも言われます。高水寺城は1335年に奥州管領として斯波家長がこの地に来た時に築城されたと言われています。そこから約400年間もの間、斯波氏の居城として使用されます。そんな名門だった斯波氏も戦国時代に入り、南部氏が力をつけてくると、南部氏から養子として中野康実を送りこまれます。これ以降、斯波家の乗っ取 […]

浦城(秋田県)

浦城の感想 浦城は現在の秋田県南秋田郡八郎潟町にある山城で浦城は三浦兵庫守盛永(みうらひょうごのかみもりなが)の居城でした。三浦氏は現在の神奈川県三浦半島の衣笠城に居住し『三浦平太』と姓を改めたのが三浦家(こっちの方が有名ですね)の元祖となった一族で、この三浦家に関係する三浦の名前が出てくるのは今から約450年前。始祖であるとなったのが三浦兵庫頭盛永(みうらひょうごのかみもりなが)でみたいです( […]

脇本城(秋田県)

脇本城の感想 脇本城は知る人ぞ知る!男鹿半島から日本海を臨む東日本屈指の規模を誇る山城で、その広さは150haに及ぶ想像もつかないぐらいの大規模な山城で、標高約100mの丘陵を活かし整備した土づくりの城で石垣は存在していません。私が脇本城を知ったのは安東愛季(あんどうちかすえ)の存在で、この脇本城を居城にしようと改築を行っていたみたいです。 安東氏は元々安部氏といい、その昔、平安時代の頃は陸奥国( […]

和田山城(石川県)

和田山城の感想 1506年頃に一乗谷城の越前守護朝倉貞景に追われた南加賀国一向衆の和田坊超勝寺が築いた城とされ、その後、大小の加賀国一向衆同士の小競り合いから、本願寺が和田坊超勝寺側に付き本願寺一向衆側として確立された様です。この辺は古墳が多く(前方後円墳や前方後方墳や円墳など、この辺一帯にも40数基もの古墳が築かれています!凄いですなぁ~Σ(・□・;) 和田山城も古墳を利用した平山城で、手取川南 […]

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