打ち込み接

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打込み接ぎで作られた石垣

高山城(岐阜県)

高山城の感想 飛騨国高山の名城『高山城』です。 高山城は名将(って自分は熱く想っています)金森長近が築いた城です。金森長近は美濃の多治見で生まれ金森氏は土岐氏の一門だった様ですが、戦乱激しい美濃を離れ近江野洲郡の金森へ移住したようです。元々、金森長近の父親は大畑氏を名乗っていたのですが金森に移住し金森氏を名乗ったようですね。近江の金森も戦乱の中で一向一揆の勢力が強く難しい土地だったはずなのですが商 […]

松倉城(岐阜県)

松倉城の感想 昔でいう南飛騨地域、今は岐阜県高山市にある『松倉城』です!地味に・・・やっぱりここの見どころは石垣なんですよねぇ~(〃艸〃)ムフッ 松倉城は元々飛騨国守であった京極氏の家臣三木氏が姉小路(あねがこうじ)氏を名乗り築城したのが始まりだと云われています。築城したのは姉小路頼綱といわれ、姉小路頼綱は当初三木氏を名乗っていたみたいですね。姉小路(三木氏)頼綱は、武田氏と対立し武田信玄の命を受 […]

小谷城(滋賀県)

小谷城の感想 浅井氏のお城、小谷城(おだにじょう)へ行ってきました。浅井・朝倉 対 織田信長の戦いで浅井氏はこの城で自害し滅亡してしまいます。浅井氏は滅びますが、戦国時代のキーマンとしての浅井家は面白くて仕方がないですよね!そんな浅井氏3代の居城は楽しみで仕方がないです。浅井家について紹介します。浅井家は小谷城の戦いで家としては滅亡してしまいますが、浅井長政の継室が織田信長の妹「お市の方」で信長は […]

松坂城(三重県)

松坂城の感想 蒲生氏郷のお城、松坂城へ行ってきました。蒲生氏郷は織田信長、豊臣秀吉の家臣として活躍した武将でこの松坂城のあとは会津若松城(黒川城)に92万石で加増転封となっています。蒲生氏は近江蒲生郡発祥の家系で氏郷は近江の日野城を居城として、浅井、浅倉征伐で信長の家臣として活躍。秀吉の時代には賤ヶ岳の戦いや小牧・長久手の戦いなどに参戦しその功績で12万石でこの伊勢に移封となり、1588年にこの松 […]

新宮城/丹鶴城(和歌山県)

新宮城/丹鶴城の感想 和歌山県新宮市にある新宮城へ行って来ました。新宮城は特別歴史の表舞台に出てくる有名なお城ではないですが、国の指定史跡になっているくらい遺構が残っているお城で江戸時代のお城の作りを知るにはとても良いお城だと思います。平山城で街中に隣接してあるのもアクセスが良くておすすめです。新宮城は浅野忠吉が1601年築城を始めますが、一国一城令(1615年)で一時廃城。その後主君、浅野 長晟 […]

鳥羽城(三重県)

鳥羽城の感想 めっちゃ豪雨の中、心を折られながら行ってきました♪ 鳥羽城です!((´∀`*))ヶラヶラ 鳥羽城は織田信長の配下で活躍し、その後、豊臣秀吉の家臣であった九鬼嘉隆が築いた城とされ、海に面した標高40mの城山に築城されれ海側に大手門を設けられた珍しい城だったみたいです。築城主の九鬼嘉隆は織田信長配下の水軍となり3万5000石を領した武将で、本願寺との戦の際に一度毛利水軍に惨敗したものの、 […]

小田原城(神奈川県)

小田原城の感想 北条五代のお城といえば小田原城ということで小田原城へ行ってきました。 小田原城は初代の北条早雲(そううん)が大森氏を倒し手中に収めたお城です。小田原駅のロータリーにも北条早雲公の銅像があります。北条早雲は北条五代で話す場合は使われる名前ですが、この方ものすごい呼び名が多く存命の頃は北条とは名乗っておらず「伊勢宗瑞(そうずい)、伊勢盛時(もりとき)、伊勢新九郎(しんくろう)」などと呼 […]

明石城(兵庫県)

明石城の感想 JR明石駅でホームに着くともう目の前に明石城が見えるというロケーション。アクセスはとてもしやすくて見学しやすいお城でした。明石城は小笠原忠政(忠真)が築城したお城です。1617年の築城ですので関ヶ原後のお城になります。小笠原忠政は現在の茨城県古賀市にある古河城に生まれ、長野県の松本藩(松本城)などを経て明石城に入りその後は福岡県北九州の小倉城に入るという生涯を送った大名になります。戦 […]

有岡城(兵庫県)

有岡城の感想 有岡城です!!!そぉ!あの有岡城です!(*`艸´)ウシシシ最近では伊丹城というのかもしれませんが、俺にとっては永遠に有岡城です! 有岡城といえば、下剋上の武将荒木村重が突如!織田信長に離反し立て籠もった城です。凄く有名な話は、離反した荒木村重を口説くために友人だった黒田官兵衛単身乗り込み交渉しますが、疑心暗鬼になっていた荒木村重は黒田官兵衛を捕らえ土牢にブチこんでしまいます。。。実に […]

花隈城(兵庫県)

花隈城の感想 都心にどしっと構えている『花隈城』です!神戸です!花隈城は別名『花熊城』や『鼻隅城』や『鼻熊城』と呼ばれていたみたいで、その名の通り、当時はこれは六甲山の丘陵が海に突き出ている様子を「鼻」、その稜線を「隅」で言い表したものだと言われております。荒木村重が織田信長に命じられて築城した城といわれていますが、和田惟政が織田信長に摂津の支配を任されたときに築いた城だともいわれています。どちら […]

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