2023年

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大廻小廻山城(岡山県)

大廻小廻山城の感想 『大廻小廻山城→おおさこ こさこ さんじょう』と読みます(^▽^) 先日、宇喜多氏を訪ねて備中国の城攻めをしていた時に発見しました!私の職場の同僚に『小廻(こさこ)』さんって方がいて、すごく興味と縁を感じ探し当てました。小廻さんに城を見つけたとご連絡すると『祖父がそのあたりの出身ですよ』って聞かされて、驚きと感動がありました。何かしら関係があったのかもしれませんね!  大廻小廻 […]

乙子城(岡山県)

乙子城の感想 宇喜多直家スタートの城!『乙子城』です!!!(((o(*゚▽゚*)o))) 個人的にはどうしても来たかった念願の乙子城を城攻めできました~♪ 乙子城は、吉井川河口部東岸にあり、かつては瀬戸内海に浮かぶ大小の島と、吉備穴海といわれる内海であったため(今は埋め立てられてて跡形もありませんが・・・苦笑)、九州と関西を結ぶ物流のルートであったと予想され、また、吉井川両脇に広がる有数の穀物地帯 […]

亀山城/沼城(岡山県)

亀山城の感想 亀山城は周りを湿地と深田に囲まれた小さな山に築かれた城で、その山のカタチが亀に似ていることから『亀山』と言われたり、周りの湿地と深田から『沼』と呼ばれていた平山城です。 築城は浦上宗景の家臣であった中山勝政(信正)とされ、元々は浦上氏に敵対する松田氏に付いていたが浦上氏に鞍替えした思われ、東は赤松氏、西は三村氏(松田氏)や毛利氏(小早川氏)の圧力が入り乱れていた時代だったと思います。 […]

  • 2023.08.19

九度山真田庵(和歌山県)

九度山真田庵の感想 信州長野や群馬のイメージが強い真田氏ですが、真田昌幸、幸村の親子は関ヶ原後ここ九度山に幽閉されて昌幸はこの九度山で生涯を閉じています。個人的に真田昌幸は黒田官兵衛と並ぶ優秀な戦国時代の軍師(策士)だと思っており、とても好きな武将の一人です。幸村はここ九度山から出奔し「日の本一の兵」と呼ばれ大阪夏の陣で活躍したことで有名ですね。あの時、徳川が打ち取られていたら・・なんて考えるのも […]

高取山城(岡山県)

高取山城の感想 宇喜多氏の砥石城から約1㎞離れたところに高取山城があります。 高取山城は浦上宗景の重臣、島村豊後守盛実(島村貫阿弥)の居城で、長く島村貫阿弥が砥石城の宇喜多能家を襲撃し殺害、数年後、隠れ住んでいた興家を暗殺した黒幕とされ、成人した宇喜多直家に亀山城(沼城)に誘き出されて、亀山城主の中山勝政と共に宇喜多直家に討ち取られたとされていましたが、最近の研究では江戸時代に作られた創作なのでは […]

砥石城(岡山県)

砥石城の感想 長野にも真田氏の砥石城(武田信玄が村上義清に敗れた砥石崩れの城)が有名ですが、今回の砥石城は備前国の中心地だった福岡や西大寺、千町平野(大穀物地帯)を見渡せる、標高100mぐらいの平野に突き出した砥石山の尾根に築かれた、宇喜多氏ゆかりの城です。 築城は不明で宇喜多直家の祖父にあたる宇喜多久家の時から浦上氏の城番か何かで関わってから、宇喜多久家→能家→興家→直家(誕生の城)と宇喜多代々 […]

天神山城(岡山県)

天神山城の感想 浦上宗景の居城『天神山城』に城攻めを掛けましたが、一言でいえば壮大!巨大な石垣と山頂の尾根を上手く利用した防衛ラインを備えた壮大な巨大山城だったため、私は一発でやられました!? 浦上氏は下剋上でのし上がった一族で、浦上宗景の父浦上村宗が播磨国の守護大名であった赤松義村を赤松氏の重臣でありながら騙し討ちし生け捕りにして播磨国の室津城に幽閉、その後暗殺して成り上がってゆき、その息子が備 […]

郡山城/大和郡山城(奈良県)

郡山城/大和郡山城の感想 藤堂高虎が縄張りしただけあって、なかなかの石垣を有する城です。 郡山城は郡山衆と云われる国人たちが築いた城だった様で、筒井順慶が筒井城から郡山城に移ってから(筒井城から郡山城まで約4㎞ぐらいかぁ)改築されていったんだと思います。筒井順慶が亡くなると秀吉のもとに人質に出されていた筒井定次が家督を相続し郡山城の城主となります。長年、秀吉のもとに人質に出されていた筒井定次は順慶 […]

筒井城(奈良県)

筒井城の感想 筒井城です。筒井氏は大上神社の神官・大神氏の一族と言われ、大和国添下郡筒井の有力国人として勢力を持っていた一族で、筒井順興の時代には当時大和国の守護職だった興福寺を背景に勢力を拡大していた。その子、筒井順昭の時代に大和国を統一し全盛期を迎える。しかし、順昭は病になっており急ぎ比叡山に入り生まれたばかりの嫡男・藤勝(順慶)へと家督を譲り(当時2歳ぐらい?)、家督を譲った20日後、順昭は […]

和歌山城/虎伏城(和歌山県)

和歌山城の感想 和歌山を代表する城、和歌山城です!!!!元々は虎伏山(とらふすやま)に築かれた平山城だったため『虎伏城』とも呼ばれていたようですね。 和歌山城のきっかけ?は、豊臣秀吉時代に弟の豊臣秀長が大和一国の国主となり入国したことからスタートするみたいです。豊臣秀長は当時、大和郡山城を本城としていたため、和歌山城には重臣の桑山重晴を城番として置いたことがスタートみたいですねぇ~(o^―^o) […]

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