- 2025.10.25
- 入場料無料,
別府城/加世田城(鹿児島県)
別府城/加世田城の感想 お城の名前だけ見ると間違えてしまうかと思いますが、こちらは鹿児島県南さつま市にある別府城になります。別名「加世田城(かせだじょう)」とも言います。別府城は1177年に別府忠明によって築城されたお城になります。この別府氏は桓武平氏の流れをもつ家系で、平貞時を祖とする平氏一族とされているようです。別府氏は1177年から1420年まで別府城の城主としてこの地を治めますが、島津家第 […]
主に鎌倉時代に築城、存在した武将、大名などに関するものを表示しています。
別府城/加世田城の感想 お城の名前だけ見ると間違えてしまうかと思いますが、こちらは鹿児島県南さつま市にある別府城になります。別名「加世田城(かせだじょう)」とも言います。別府城は1177年に別府忠明によって築城されたお城になります。この別府氏は桓武平氏の流れをもつ家系で、平貞時を祖とする平氏一族とされているようです。別府氏は1177年から1420年まで別府城の城主としてこの地を治めますが、島津家第 […]
弓木城の感想 弓木城は丹後国(現在の京都府与謝野町岩滝)にあり、鎌倉時代の末期頃に稲富氏が築いたことから始まったとされいるみたいですね。稲富氏は元々伊勢平氏の流れを組む山田氏だった様で、丹後国に侵攻した際にこの稲富姓を名乗り土着したようです。室町時代になり足利一門の一色氏が丹後国の守護大名となるとそれに従い家臣として務めていた様です。 戦国時代に入ると室町幕府四職筆頭格だった一色家当主の一色義定が […]
山名氏発祥の地の感想 前にも書きましたが・・・笑清和源氏の流れで新田義重の子(庶子)義範が上野国碓氷郡八幡荘の山名郷を与えられたことから、山名を名乗る様になり山名義範を名乗ったのがされており、山名義範から義節→義国→重村→義長→義俊→政氏→時氏・・・っと八代にわたって居城がここ高臺寺(高台寺)にありました♪山名時氏の時に足利尊氏に従い京都六破羅攻撃のため西国に向かい、その後、山名時氏は伯耆国の守護 […]
山名館跡の感想 清和源氏の流れで新田義重の子(庶子)義範が上野国碓氷郡八幡荘の山名郷を与えられたことから、山名を名乗る様になり山名義範を名乗ったのがはじめとされるみたいです(o^―^o)ニコ その山名義範がこの現在の高臺寺(高台寺)に館を構えたのが始まりらしく、山名義範は源頼朝の御家人として兵て討伐にも源義経に従い一ノ谷の戦いで活躍し、清和源氏受領六人の筆頭として『伊豆守』に任命されるなどしたみた […]
蒲生城の感想 蒲生城(かもうじょう)もしくは別名で竜ヶ城(りゅうがじょう)と呼びます。鹿児島県の姶良市にあるお城で、なんと築城は1123年で平安時代に築城されたお城になります。蒲生城は蒲生氏のお城で、初代蒲生氏の蒲生上総介舜清(かもうかずさのすけちかきよ)が築城したと言われております。舜清は蒲生・吉田の惣領職として京都からやってきた人物のようです。その後、蒲生城は蒲生氏の居城として戦国時代の155 […]
淡河城の感想 淡河城と書いて「おうごじょう」と読みます。淡河城の築城は鎌倉時代に執権だった北条氏の末裔、北条時治が兵庫(淡河庄)に来たことに始まるとのことです。この時治が土地の淡河庄から淡河氏(おうごし)を名乗るようになり淡河氏の家系が始まりますが、淡河氏の家紋は北条氏の「三つ鱗」が使われているので北条氏の家系と関係があるというのが想像つきますね。淡河城の築城は鎌倉時代1222年でその後、1339 […]
山名伊豆守時氏公之墓の感想 山名時氏は一代で急成長させた英主と称されます(。◕ˇдˇ◕。)/ 山名時氏は鎌倉時代末期~南北朝時代に掛けて活躍した武将で、当時は伯耆国・出雲国・隠岐国・若狭国・丹波国などなどを支配する守護代大名で『太平記』にも登場する武将です。足利尊氏・直義兄弟の母である上杉清子は山名時氏の母方の従姉妹にあたる様です。山名氏は元々上野国(こうずけのくに)の新田氏の一族だった山名政氏 […]
岩倉城 / 岩倉山城の感想 現在の鳥取県倉吉市岩倉にある岩倉城です!!!ここは行ってみたかったお城なのですが・・・全く入口がわからず(もしかしたら民家を抜けないとだめだったのかもしれません)、案内板で大興奮した後・・・1時間以上炎天下の中でさまよって断念してしまいました~( ノД`)シクシク…~くやしぃぃぃぃぃぃぃ!!!! 岩倉城は小鴨(『こがも』ではなく『おがも」って呼びます)氏の居城で、尼子氏 […]
三刀屋城の感想 三刀屋城は山陰と山陽とを結ぶ街道沿いに位置する交通上の要衝にあり、三刀屋氏は出雲国において有力な国人衆として存在しています。三刀屋氏は清和源氏満快の流れを組む伊那氏の一族らしく、その子孫が出雲国飯石郡三刀屋荘の地頭職となり、その地名から三刀屋氏を名乗ったのが始まりらしいですね。約20㎞離れた場所にある三沢城の三沢氏もそうですが、出雲国には信濃国から移ってきた人が多いんだなぁ~って感 […]
大江広元邸址の感想 『大江広元邸址』屋敷は、大江広元のお墓がある山の下にある明王院の向かい側、『明石橋』の交差点の所に滑川が流れていますが、その滑川沿いに屋敷があったものと思われます。 『大江広元邸址碑』にはこぉ書かれていました・・・(=゚ω゚)ノ『大江氏 奕世(えきせい:累代)学匠として顕(あらわ)る 嘗(かっ)て匡房(まさふさ) 兵法を以て義家に授く 広元は其の匡房の曽孫(ひまご)なり 頼朝に […]