反町館跡/新田義貞公古城跡(群馬県)
反町館跡/新田義貞公古城跡の感想 新田義貞の居城とも言われている反町館に行ってきました。築城は鎌倉時代から南北朝時代頃とされているので、13世紀から14世紀ごろでしょうか?最初は一重の掘りだったようですが、戦国時代には三重堀に拡張されたとのことです。現在の堀跡は道路工事などで当時のものというわけではないみたいですが、綺麗な水堀なので見る価値ありです! お城の遺構らしきものはほとんど残っていないです […]
主に鎌倉時代に築城、存在した武将、大名などに関するものを表示しています。
反町館跡/新田義貞公古城跡の感想 新田義貞の居城とも言われている反町館に行ってきました。築城は鎌倉時代から南北朝時代頃とされているので、13世紀から14世紀ごろでしょうか?最初は一重の掘りだったようですが、戦国時代には三重堀に拡張されたとのことです。現在の堀跡は道路工事などで当時のものというわけではないみたいですが、綺麗な水堀なので見る価値ありです! お城の遺構らしきものはほとんど残っていないです […]
倉賀野城の感想 倉賀野城は武蔵七党の兒玉党(秩父氏)がこの倉賀野の地へ来て、秩父三郎高俊が倉賀野氏と名乗ったことで始まったとされています。この秩父氏ですが、名前的に武蔵七党の秩父党の秩父氏のイメージですが、兒玉党の秩父氏というのも面白いですね。 倉賀野氏は関東管領・山内上杉氏に支えていたので戦国時代には上杉氏と武田氏の戦いに巻き込まれていきます。というか、「倉賀野一六騎」と呼ばれ武田信玄の攻撃をな […]
連方屋敷跡(古屋氏館跡)の感想 どこのどいつか築いた館跡なのかわかりませんが、案内板の説明と後でモロモロ調べてみたら、戦国時代の時に甲斐武田氏の蔵前衆(甲斐武田家でいう蔵前衆は『金・銀』『米穀』などの重要な蔵を管理する役職)だった古屋(ふるや)氏の館であったと思われ、私はあえて連方屋敷跡の後に(古屋氏館跡)と記載させて頂きました(。-_-。) 連方屋敷跡はきれいに当時を教えてくれるメチャクチャ素敵 […]
新田義貞誕生地/台源氏館跡の感想 新田宗家の館があったところで4代目の新田政義が築城したと言われています。築城時期は不明ですが、新田義貞が8代目なので、平安末期から鎌倉時代初期ごろですかね?台源氏館と言われているのは、館の場所が「台(だい)」と言われていた場所で、そこから新田氏をこの土地の人たちが台源氏と読んだことで台源氏館というらしいです。 説明版にも書かれていますが、誕生地は諸説あるみたいでこ […]
岡部六弥太忠澄の墓画像ギャラリー 岡部六弥太忠澄は平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した武蔵武士です。岡部氏は武蔵七党のひとつ猪俣党に属し、祖父の猪俣六太夫忠綱が岡部に居住して岡部を称したことにはじまると云われてます。岡部六弥太忠澄は源義朝(源頼朝の父親)の家人として保元・平治の乱に活躍したみたいです。源平盛衰記には『待賢門(たいけんもん)の戦い』で熊谷直実、斎藤実盛、猪俣小平六など源氏十七騎のひ […]
安田義定一族之墓/安田氏五輪塔付宝篋印塔の感想 安田義定館跡から約1.8km先に『安田義定一族之墓』があります( `ー´)ノ 安田義定館跡にも記載しましたが、安田義定の嫡男の安田義資は越後守に任じられるなど、父子ともども長く鎌倉幕府を支えた安田一族でしたが、建1193年に安田義資が艶書を女房の聴聞所へ投げ入れたと鎌倉幕府から言い掛かりをつけられ安田義資は梟首させられ、安田義定も縁坐で所領を没収され […]
安田義定館跡の感想 皆さんは安田義定をご存知ですか? 私は知りませんでした・・・(゚д゚)山梨県をブラブラしてて安田氏の存在を知りました。 安田氏は甲斐源氏の祖と云われる源義光の孫の源清光の子だとされている様です。(甲斐源氏はここで武田冠者と逸見冠者に分かれるようです) 安田氏は元々甲斐国に土着した一族で、甲斐源氏が甲斐国に流れてきて土着すると峡東地域に勢力を持っていた古代在庁官人だった三枝氏の勢 […]
金窪城の感想 金窪城は1177年~1181年頃に武蔵七党と呼ばれる武士集団のひとつ丹党の加治家季が築いた城と云われておりますが、案内板を読んだら新田義貞が金窪城を築き家臣の畑時能が金窪城を居城とさせたとも書いてありますねぇ~(‘◇’)ゞ武蔵七党の加治氏はもっと南の入間・飯能の地域が勢力下なのでここまで離れた場所に金窪城を築くのは何かしらの理由があったのか不思議な感じがします […]
上野城 / 甲斐上野城の感想 んんん・・・・なんだろうなぁぁぁ・・・・(;´Д`) 現在は『歌舞伎文化公園』として整備されている曽根丘陵に・・・ここは『市川團十郎発祥の地』がある文化に富んだ場所の上野城/甲斐上野城があります。立派なお城が建っているのですが・・・歴史的な構造や城らしさを感じません。 この先に『一条氏館跡』があるため、従来はそこと合わせて城があったんではないかと思います。一条氏は武田 […]
奈胡十郎義行の墓の感想 奈胡十郎義行は1160年頃甲斐国奈胡荘を拠点とした武将で、甲斐源氏清光の十男として生まれたと云われています。甲斐源氏といえば1130年に源義清(武田冠者)と源清光(逸見冠者)の両名は常陸国より甲斐国に配流されましたが、甲斐国で各自が勢力を伸ばし拡大していきます。源清光は官牧の発達していた逸見郷へ進出し源清光の長男の光長が『逸見氏』を名乗ることとなります。。。その十男目の義行 […]