竹田城(兵庫県)
竹田城の感想 日本のマチュピチュと呼ばれる『竹田城』です。超!超!超!!!有名で憧れのお城ですね((´∀`))しばしば『雲海に浮かぶ城』『天空の城』と呼ばれますが、竹田城の真下を流れる円山川の川霧が現象的な風景見せてくれます。 当時は但馬・丹波のあたりに権力を広げる山名氏の配下だったと思われ、築城は『応仁の乱』の西軍総大将としても名高い但馬守護山名宗全(持豊)らしく、その後は太田垣光景を初代城主と […]
竹田城の感想 日本のマチュピチュと呼ばれる『竹田城』です。超!超!超!!!有名で憧れのお城ですね((´∀`))しばしば『雲海に浮かぶ城』『天空の城』と呼ばれますが、竹田城の真下を流れる円山川の川霧が現象的な風景見せてくれます。 当時は但馬・丹波のあたりに権力を広げる山名氏の配下だったと思われ、築城は『応仁の乱』の西軍総大将としても名高い但馬守護山名宗全(持豊)らしく、その後は太田垣光景を初代城主と […]
岩櫃城(いわびつじょう)の感想 岩櫃城といえば私は真田のイメージが強いのですが、元々は斎藤氏のお城で真田幸隆(真田幸村のおじいさん)が攻め落とした城です。真田幸隆も内応者を斎藤氏のところに忍び込ませて落城させた城です。つまり実際に行ってみるととても普通に攻めて落とせる山城じゃないことがわかります。甲冑を着て攻めていくには険しすぎます。私は甲冑着てなくても転びました笑また、歴史的にもとても興味がある […]
竹田城の感想 雲海に浮かぶ天空のお城として有名な竹田城。夏に行ってしまったので雲海などは見られるはずもなく、また画像も竹田城内の画像はなぜか1枚も撮れていないというか残っていないという残念な訪問になりました。なので、雲海も無いですが竹田城の反対側、雲海の出る時にみんな撮影するスポットからの画像です。 竹田城は虎が伏せたような形に見えることから虎臥城(とらふすじょう・こがじょう)とも呼ばれ、雲海は秋 […]
宇和島城の感想 『宇和島城』です!((´∀`))別名は『鶴島城』です!!!!!!!!! 現存12天守の一つ。仙台から分家した伊達氏が築いた城だと思っていたんですが、元々は伊予南西部エリアを支配していた西園寺(さいおんじ)氏が築いていた板島丸串城の跡を築城の名手藤堂高虎が築き直したお城みたいですね。 現在は勿論本丸(本城)付近しか残っていませんが、二の丸・三の丸っと現在の市街地を取り込んだ大規模な平 […]
平井城の感想 今日は朝から・・・群馬県藤岡市をぶらぶらしていました(^ ^)朝の8時! 流石に人っ気がありませんなぁ〜笑笑関東管領上杉憲政の居城『平井城』です。 鮎川を天然の堀として、逆方面は平井城を中心とした城下町が広がっていたと思います。今は何ともない城址公園となっています。ここから眺める関東平野は凄く石高(お米)が見込まれたんだと思います。 なのに何でこんなに弱い上杉憲政???(T ^ T) […]
高遠城の感想 誰もいない真冬の高遠城へ行ってきました。桜の名所として有名な高遠城。春には沢山の観光客などで賑わっていますが、この日はほぼ貸切状態。雪化粧の高遠城も侘び寂びの枯山水のような趣のある感じでこれはこれで個人的にはとても楽しい時間でした。高遠城と言えば、そもそもは高遠氏のお城でしたが、武田信玄が侵攻して領地とし、その後、武田勝頼も城主の時期があったお城ですね。そして、織田対武田の戦いの激戦 […]
久留里城の感想 今日は朝から久留里城でーす(* ´艸`)別名を『雨城』とも呼ばれていました。 ここは、里見さんが北条さんに攻められた時に籠城し撃退したお城です。もともとは上総武田氏の武田信長によって築かれた城ですが、その後、里見氏の城となり改めて縄張りし久留里城を築城、関東へ進出してくる北条氏に対して佐貫城と共に久留里城が対北条氏との最前線基地として重要視されたお城です。 江戸中期には久留里藩から […]
田辺城の感想 京都の舞鶴にある『田辺城』です。別名を舞鶴城(ぶがくじょう)ともいいます。 関ヶ原の前哨戦の時に細川藤孝さんが田辺城籠城戦を500名ぐらいで戦った城だったので期待して行ってみたのですが、今ではすっかり住宅地の中の公園になっていました。 細川藤孝さんってすごく変わった武将ですね。大河ドラマで有名になりましたが、足利将軍を担ぎ全国を流浪し最終的には織田信長に仕え武門の人でありながら文学に […]
難波田城の感想 買い物の帰りに何気なくみつけた『難波田城』の看板を発見し立ち寄ってみました。 埼玉の住宅地の中にある城跡を利用したのどかな公園になっていました。その昔、武蔵七党という武士団がいたらしく、そのうちのひとつ村山党の金子さんって方がここ難波田村に住み着いて、難波田さんを名乗ったとか。。。 難波田氏は扇谷上杉氏に従っていましたが、川越の野戦で北条氏康軍に扇谷上杉連合は歴史的な大敗・・・共に […]
相合四郎元網のお墓の感想 相合四郎元綱のお墓です。腹違いではありますが、毛利元就の唯一残された弟です。 武田元繁が攻めてきた時は毛利元就の右腕としてよく戦い!元々は元就とも仲が良かったんじゃないかと勝手に想像しています。『今義経』と呼ばれるぐらいの武勇の人。 しかし、家督争いの際にで宿老坂広秀らに担がれて元就に謀反を企んだため殺されてしまいました。(尼子経久や高橋氏の謀略とも思われます・・・) お […]