にんじゃ

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島津貴久の灰塚(鹿児島県)

島津貴久の灰塚の感想 島津貴久公は加世田のこの地で父親の日新公同様に亡くなり荼毘に伏されたとのことです。貴久のお墓としては福昌寺跡の島津家墓所にあります。この灰塚がどうなのかはよくわかりませんでしたが、一般的に灰塚は荼毘に伏した時の棺など一緒に燃やしたものを塚として埋葬したものになります。なので遺骨などはこの場所には埋葬されていないと思われます。島津貴久の灰塚ですが、貴久の息子、島津義久が釈迦院を […]

日新公(島津忠良)の墓(鹿児島県)

日新公(島津忠良)の墓の感想 日新公(島津忠良)のお墓に行ってきました!戦国時代の島津家と言えばこの日新公から始まったと言われるくらい重要な人物です。日新公は1492年に伊作城(いざくじょう)で誕生します。日新公が活躍した時代は島津宗家が弱体化していた頃で島津家としてお家の再興を求めていた時代背景があります。日新公は伊作島津家の生まれで宗家ではなかったのですが、宗家が弱体化していたため、伊作島津家 […]

尾辻佐左衛門の墓(鹿児島県)

尾辻佐左衛門の墓の感想 尾辻佐左衛門は島津尚久(しまづなおひさ)の家臣とされている人物で、島津尚久の墓の隣にお墓があります。尾辻佐左衛門がどのような活躍をした人物なのかは調べてもよくわかりませんでした。 島津尚久は、島津貴久の弟であり、兄、貴久の家臣として活躍します。(島津貴久は島津4兄弟の父親であり、貴久も尚久も日新公(島津忠良)の息子に当たる人物になります。)島津尚久は7歳で初陣を飾ったとされ […]

島津尚久の墓(鹿児島県)

島津尚久の墓の感想 島津尚久は島津忠良(日新公)の三男になります。長男の島津貴久とお供し、7歳で初陣を飾ったと言われています。その後も次男の島津忠将(しまづただまさ)と祁答院氏(けどういんし)を破ったりと活躍を見せます。ちなみに祁答院氏は現在も薩摩川内市に地名が残っております。祁答院氏は「相模国渋谷氏」(神奈川県)が発祥で、現在の「高座渋谷駅(小田急線)」あたりが発祥の地とされています。この相模国 […]

亀ヶ城跡/田布施城(鹿児島県)

亀ヶ城跡の感想 亀ヶ城(かめがじょう)、田布施城(たぶせじょう)とも呼ばれるお城になります。亀ヶ城は第15代当主島津貴久(しまづたかひさ)が生まれたお城になります。亀ヶ城の歴史は島津友久(しまづともひさ)が長男であるにもかかわらず、宗家を継がずに相州島津家(そうしゅうしまづけ)を興したことで始まります。相州島津家は第2代目運久(ゆきひさ)、第3代目忠良(ただよし・日新公)で貴久は忠良の長男として1 […]

島津義弘居館跡/御屋地跡(鹿児島県)

島津義弘居館跡/御屋地跡の感想 島津義弘居館跡へ行って来ました!島津義弘が松尾城からこの帖佐へ移ってきて建てた館になります。現在は稲荷神社になっていました。石垣は当時のもので復元?使用されているみたいでノミで石を割った後など当時の痕跡が残っています。1595年に松尾城から島津義弘が移ってきて1606年まで義弘の居館として使われます。島津義弘が平松城へ移った後は、御屋地様(おやじさま)が居館として使 […]

伊作城/亀丸城(鹿児島県)

伊作城/亀丸城の感想 伊作城(いざくじょう)と読みます。伊作城は別名中山城とも呼ばれるみたいですが、伊作城は各曲輪を「城」と呼ぶ山城で、本丸を亀丸城、他にも御仮屋城・山之城・蔵之城・東之城・西之城・花見城などと呼ばれる曲輪があります。山城としての規模もかなりのものですが、曲輪一つ一つが独立しているお城くらいに堀切が深く広いのでこのような呼び方にしたのかな?なんて思ったりします。 伊作城の歴史ですが […]

建昌城/瓜生野城(鹿児島県)

建昌城/瓜生野城の感想 建昌城(けんしょうじょう)もしくは瓜生野城(うりうのじょう)と読みます。歴史的には最初、瓜生野城が築城されてその後、江戸時代に建昌城という名前で現れたため「建昌城」と呼ばれているみたいです。画像の方で説明しますが、さらに建昌城の曲輪の一部は「胡麻ヶ城(ごまがじょう)」と呼ばれておりこの胡麻ヶ城と呼ばれる場所が「瓜生野城」があった場所とされているようです。うーん。解りづらい& […]

島津家墓所/福昌寺跡(鹿児島県)

島津家墓所の感想 島津家墓所へ行ってきました!現在は国の指定史跡にも指定されている島津家のお墓になります。島津家のお墓は福昌寺というお寺にあり、現在はお寺は廃寺となっております。お寺の一部は鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校になっており、高校の裏にお墓がある感じです。この福昌寺というお寺は、1394年に島津家第7代当主「島津元久」によって建てられたお寺で、1549年にフランシスコ・ザビエルが鹿児島に来た […]

加世田麓(鹿児島県)

加世田麓の感想 加世田麓(かせだふもと)と呼びます。別府城/加世田城の麓にある場所で、簡単に言うと、城下の武家屋敷街だったところをこのように麓と呼んでいるみたいです。麓についての詳細な説明がなかったのでこのように理解しています。 加世田麓以外にも十二の麓があるみたいで幟旗が立てられていました。無料で武家の住宅が見学できるとのことで「旧鯵坂家住宅」に入らせていただきました。ただ、門があていたので入ら […]

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