毛利家にゆかりのあるものをまとめています。
毛利家は鎌倉時代の毛利季光から始まる武家の家系です。鎌倉幕府の御家人であった季光からはじまり、戦国時代の雄である毛利元就、三本の矢の話で有名ですね。これは創作ですが、子の「毛利隆元・吉川元春・小早川隆景」に宛てた三子教訓状が元になっていると言われております。江戸時代以降では幕末の長州藩となってから活躍した毛利敬親など常に歴史に関わる武家の家系です。
北条城の感想 北条(きたじょう)城と呼びます。北条城は上杉謙信の家臣だった北条高広の城で、その昔は鎌倉幕府時代に源頼朝の重臣だった大江広元が四男季光が相模原毛利荘を貰い毛利季光となり、季光の四男経光が越後国刈羽郡佐橋荘南条を与えられ入国したことから始まります。その南条の地に館を築き毛利経光→基光(嫡男)→時元(嫡男)と続き毛利から南条の名を語っていた様ですが、時元の時代に南条(なんじょう)から北条 […]
毛利氏発祥の地/毛利季光屋敷跡の感想 俺が尊敬し崇拝する毛利元就さんのそもそもの『毛利氏』発祥の地が神奈川県にあることをご存じでしょうか???厚木市下古沢にある三島神社付近がその昔『毛利荘』と呼ばれていたらしく、この地を与えられてから毛利氏を名乗ったようですね。(この辺一帯は三島神社がたくさんありますので行くときにはご注意を!笑) 毛利元就さんの祖は、現在『鎌倉殿の13人(2022年HNK大河ドラ […]
神辺城の感想 南北朝時代から江戸時代初期まで存在し備後国の中心であったと思われる『神辺(かんなべ)城』です。黄葉山に築かれた城で神辺平野を見渡せ、神辺平野に点在するように他にも名もない城がたくさん点在しています。ただ、近年は研究が進み現在では神辺城も備後国に於ける政治の中心からは外れた存在であったと言われるようになっています。私が心から愛する毛利元就の数多くの本を読んでいても必ず出てくる山城で、山 […]
三原城の感想 三原城は1567年に小早川隆景(こばやかわたかかげ)が築城したお城です。小早川隆景は毛利元就(もうりもとなり)の三男で関ヶ原で有名な小早川秀秋(こばやかわひであき)のお父さんになります。秀秋は養子なので隆景の嫡男ではありません。三原城は現在残っているのは天守台と舟入櫓跡など一部なのですが、一番驚いたのは電車の駅と一体化していることです。実際天守台に行くには駅の構内から階段を登ります。 […]
米子城の感想 前から一度足を運んでみたかったお城です。 『米子城』です(*`艸´)ウシシシ毛利の一族、吉川広家さんが築城したお城です。 吉川広家さんは毛利元就の次男吉川元春の三男坊で、幼き頃は『うつけ』として周りからは厳しい評価をされていたようです。父の元春と長男の元長が死去すると、吉川家を継いで当主となり武闘派としてならし豊臣秀吉からも高い評価を得ることとなります。 当時の毛利家(毛利輝元)は拡 […]
月山富田城の感想 私の中では『難攻不落』『戦国No1山城』の名城だと思っています。 『月山富田(がっさんとだ)城』です! (*`艸´)ヨッシャ 築城は佐々木源氏の流れをくむ佐々木義清とされるが不明です。月山富田城は月山(標高184m)に築かれた山城で、山陰の覇者!尼子氏が代々170年間居城としたお城です。(尼子氏は佐々木源氏からの流れをくみます。) 月山富田城といえば、一代で十一か国の太府までのし […]
相合四郎元網のお墓の感想 相合四郎元綱のお墓です。腹違いではありますが、毛利元就の唯一残された弟です。 武田元繁が攻めてきた時は毛利元就の右腕としてよく戦い!元々は元就とも仲が良かったんじゃないかと勝手に想像しています。『今義経』と呼ばれるぐらいの武勇の人。 しかし、家督争いの際にで宿老坂広秀らに担がれて元就に謀反を企んだため殺されてしまいました。(尼子経久や高橋氏の謀略とも思われます・・・) お […]
萩城の感想 萩(指月)城へ行ってきました。関ヶ原で負けた毛利輝元が築いたお城ですが敗将の城としては規模が大きてしっかりとしたお城だったんだろうなぁって個人的には思います。浜から見た石垣も壮大で城内のお堀も入り組んでおり石垣がしっかりと組まれているもんだなっと思いました。 もともとは、大内の重臣から毛利家の重臣と変わった石見国津和野城主吉見氏の出城があり吉見正頼の隠居先であったが、関ケ原で負けた毛利 […]
三原城の感想 名将、小早川隆景さんが築いた城跡『三原城』です。現在は『本丸天守台』だけが残るありさまです・・・( ノД`)シクシク… 当時は船の出入りができ、満潮時には海に浮かんでいたように見えたため、浮城とも言われていた名城で隆景さんの隠居先みたいです。在の沼田川河口の三原湾に浮かぶ小島や中洲などを活用して、砦を築き水軍の拠点とした重要な城の形成を行っているものと考えられます。小早川隆景さん・・ […]
吉川元春館跡の感想 ちょうど、小倉山城の向かい側にある火野山(日野山城)の真反対にある、吉川元春公の住みか(^ ^) 『吉川元春屋敷跡』に行ってきました。 相変わらず山霧囲まれてますので、写真だけでは軽いマチピュチュ的な感じがありますが、屋敷跡なのでしっかりとした平山です(o^^o)想像以上にめちゃめちゃ広い!井戸も何個もあるので、多くの方々でも生活は余裕だと思いました(^◇^)吉川元春さんは心か […]