北条城の感想
北条(きたじょう)城と呼びます。
北条城は上杉謙信の家臣だった北条高広の城で、その昔は鎌倉幕府時代に源頼朝の重臣だった大江広元が四男季光が相模原毛利荘を貰い毛利季光となり、季光の四男経光が越後国刈羽郡佐橋荘南条を与えられ入国したことから始まります。その南条の地に館を築き毛利経光→基光(嫡男)→時元(嫡男)と続き毛利から南条の名を語っていた様ですが、時元の時代に南条(なんじょう)から北条(きたじょう)へ拠点を移し北条城(きたじょうじょう)を築いたと云われています。北条氏になってからその分家の流れて安田氏が生まれ北条城のすぐ近くに安田城を築いていました。
因みに・・・相模から越後に入国した毛利経光の四男時親(ときちか)が、自らの一族を引き連れ越後(新潟)国から安芸(広島)国吉田荘に移り住み安芸毛利家の祖となり、後々、毛利元就に繋がっていきます(^▽^)/
北条城主であった北条高広は長尾家を支え武功を上げていくが、長尾景虎(上杉謙信)時代の1554年に武田信玄に通じ反旗を翻しますが、同族の安田氏が素早く謀反を伝え長尾景虎に鎮圧されてしまいます。北条高広は優秀な武将だったのが謀反を許されそのまま家臣として長尾家(上杉家)に再び仕え、奉行として活躍したみたいです。
長尾から上杉に名を変えた謙信の舞台が越後か関東国全域になりだすと、北条高広は関東七名城のひとつとされる厩橋城(『うまやばし』からいつしか『う』がとれて『まやばし』と呼びます)を任され上野国に入国し治めます。(厩橋城は後の前橋城となります)
北条高広はその後関東の動乱に巻き込まれ、上杉氏・北条(ほうじょう)氏・武田氏の間で戦い・離反・降伏を繰り返し、その後は家督を息子の景広に譲り自らは大胡城に入っていたとか・・・
北条城は鯖石川と支流の長鳥川に囲まれた標高140メートルの山に築かれた山城で、この柏崎近辺では一番大規模な城といってもいいと思います。城事態は南北530m・東西280mの範囲に広がっている様で、主郭は南北に伸びた尾根に沿って、南から南曲輪・二ノ曲輪(二の丸)・実城(本丸)・北曲輪の順に築かれていました。虎口・土塁・竪堀は勿論の事、『木落とし場』も設けられており緊急時には丸太何かを急斜面から落として敵の襲来を防ぐ工夫がされています。
北条城画像ギャラリー
いくつかルートはあるのかもしれませんが、今回は『時宗北条山専称寺』脇にある『北条毛利いにしえロード』から城攻めを始めます♪(* ´艸`)
一族やその他の方々の墓地なのでしょうか?近年の豪雨などで少々荒れ気味な状況となっています。
しかし、近年の山城ではあるあるの状況です・・・悲しいなぁ~
この北条氏・北条城の祖と言っていいかもしれません!南条からこの北条に本拠地を移した毛利時元のお墓がありました。(毛利氏→北条氏)
越後国(柏崎)で毛利の名に出会えるなんて・・・
個人的にはめちゃくちゃ感動していました(´;ω;`)ウゥゥ
そのあと突き進んでいきますが北条城は荒れてて進んでいく山道だけはきれいになっています。
いつかはこんな山城の保全に活動が出来ればいいのになぁ・・・
物見櫓跡です。藪に囲まれててわかり辛いですね・・・
空堀跡です!
連珠塞(れんじゅさい)跡です。???連珠塞って何のこと???
なんだかよくわかりませんが、連珠ってことは『堀が何個も連続であった』とか『堀の中に畝が何個もあった』的な意味合いなのでしょうか???何はともあれ藪で覆われているので確認はできませんでしたが・・・(´;ω;`)ウッ… まだまだ勉強不足な俺です・・・
次に街道なのか大きな堀なのかよくわからないのもが出てきました!((´∀`*))ヶラヶラ
こんな山城の中腹に街道なんてあるの???
この大空堀っていうか街道っていうかを越えて登っていくと!出ました!!!!!
『木落とし場跡』に到着です(^▽^)/ こんな工夫は大好きです♪
個々の急こう配を敵が侵入した時には大きな丸太を落としていくんですね!
馬つなぎ場跡です。
山城に引き上げた食料などなど物資はここで馬から卸、人力で本丸などに荷揚げする場所みたいです。
っていうことはこんなところまで馬が登ってこれる道があるってことですね!?おいおい・・・
【動画】馬つなぎ場跡の動画
馬つなぎ場跡を越えると本格的な曲輪や土塁が出てきます!
【動画】土塁跡→枡形跡
【動画】土塁跡→枡形跡動画です。木と藪に囲まれていて迫力はいまいちですが現地では迫力はありますよ!
枡形跡は虎口の役割を果たしており、虎口を過ぎて大きな壁の土塁が待ち構えています。
【動画】枡形跡→二の丸
【動画】枡形跡を突破して二の丸に到着する動画!
二の丸にも虎口が築かれており大空堀を挟んで本丸に進んでいきます!
大空堀跡
本丸に到着!!!!(o^―^o)ニコ
本丸から見る柏崎の街と海!素晴らしい!
なぜ、毛利氏は越後の国から安芸の国に移り住んだのか知りたくて、北条高広がその流れを組むと知ったので北条城まで来てみました。この柏崎の風景を見ていても安芸国吉田荘よりも豊かでとてもいい環境だったと驚きました。しかし、よくよく調べてみたら相模から越後に入国した毛利経光の三代あとの時元の時に南条から北条に移り住んで勢力を拡大していたんですね。安芸国の毛利は、毛利経光の四男時親(ときちか)が移り住んだとなっており、ここではなくて越後国刈羽郡佐橋荘南条であったことから、次回は南条の方に行ってみたいと思います(o^―^o)
北条城情報
築 城 | 不明 |
城 主 | 毛利氏、北条氏 |
住 所 | 新潟県柏崎市北条1107 |
種 別 | 山城 |
廃 城 | 不明 |
特 徴 | 市指定史跡 |
入場料 | 無料 |
営業時間 | – |
駐車場 | 有(専祢寺駐車場)(無料) |
北条城へのアクセス
北条城レビュー
北条城についての皆さんの評価をお願いします。
北条城おすすめの理由や訪問時の感想などもご記入いただけると嬉しいです。