2023年5月

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北条城(新潟県)

北条城の感想 北条(きたじょう)城と呼びます。北条城は上杉謙信の家臣だった北条高広の城で、その昔は鎌倉幕府時代に源頼朝の重臣だった大江広元が四男季光が相模原毛利荘を貰い毛利季光となり、季光の四男経光が越後国刈羽郡佐橋荘南条を与えられ入国したことから始まります。その南条の地に館を築き毛利経光→基光(嫡男)→時元(嫡男)と続き毛利から南条の名を語っていた様ですが、時元の時代に南条(なんじょう)から北条 […]

安田城(新潟県)

安田城の感想 越後国(新潟県)には安田城が2城あります。安田城 (越後国蒲原郡:現在の新潟県阿賀野市)は鎌倉時代初頭に伊豆の大見氏が地頭として入国し築いた城の様で、その後、越後大見氏は安田氏を名乗ることとなり安田氏は上杉謙信の家臣として活躍したそうです。 一方、今回紹介したい安田城 (越後国刈羽郡:現在の新潟県柏崎市)は、たぶん、入国時期は大見氏と同じぐらいだと予想される鎌倉時代に、鎌倉幕府の重鎮 […]

鳥羽城(三重県)

鳥羽城の感想 めっちゃ豪雨の中、心を折られながら行ってきました♪ 鳥羽城です!((´∀`*))ヶラヶラ 鳥羽城は織田信長の配下で活躍し、その後、豊臣秀吉の家臣であった九鬼嘉隆が築いた城とされ、海に面した標高40mの城山に築城されれ海側に大手門を設けられた珍しい城だったみたいです。築城主の九鬼嘉隆は織田信長配下の水軍となり3万5000石を領した武将で、本願寺との戦の際に一度毛利水軍に惨敗したものの、 […]

高崎城(群馬県)

高崎城の感想 高崎城です!正直・・東門(乾櫓)しか残っとらんとです!( ノД`)これは俺の勉強不足で知らんかったんですが、高崎城ってあの徳川四天王のひとり井伊直政が築いたお城みたいですね!(勉強不足ですんまそーん♪)驚きました!? 小田原征伐後関東に国替えされた徳川家康が、当初、箕輪城に送り込んだ井伊直政が箕輪城主となっていたのですが何かあったんでしょうね?笑箕輪城から新たに築城したのがこの高崎城 […]

相馬中村城/中村城/馬陵城(福島県)

相馬中村城の感想 相馬中村城です。戦国時代から江戸時代にかけて相馬氏の居城として長く続き、中村藩の中心的役割を果たしていました。その頃は馬陵城(ばりょうじょう)と呼ばれており、その頃から馬を連想させるお城だったんですね。 南北朝時代に中村氏によって築かれた(当時は館かな?)とされており、小高城の相馬盛胤が勢力を拡大させると、次男の隆胤が相馬中村城に入城した様です。伊達氏や田村氏との南陸奥での戦いが […]

弘前城(青森県)

弘前城の感想 念願の桜を見に弘前城へ!行ったつもりだったのですが、今年は桜の開花が非常に早く、葉桜ですら見られないくらいさくらまつりの期間にもかかわらず桜はみられませんでした。弘前城は現存する天守があるお城としても有名ですので天守閣を見るのを楽しみに見学していこうと思います。 まず、弘前城について説明していきます。弘前城は津軽藩の藩士、津軽氏の居城ですが一番興味深いのが、藩祖となる津軽為信(つがる […]

三春城/舞鶴城(福島県)

三春城の感想 三春城は戦国武将田村氏の居城であり、築城されたのはいつだかわかっていません。田村氏はその昔、蝦夷討伐軍で活躍した坂上田村麻呂が祖となりこの田村郡一帯を支配してきた一族とされています。 三春城は三春町の中心部にある標高400mぐらいの丘陵地に築かれた山城です。本丸を中心に二の丸と三の丸が南西の尾根上にあって、中腹にはかつての家臣団の屋敷があったようです。石垣跡も残っておりなかなか魅力的 […]

人取橋古戦場(福島県)

人取橋古戦場の感想 青森から東京まで続く国道4号線沿い、福島県本宮市の東流する瀬戸川流域のかつて太田ともいわれた場所には、佐竹・蘆名氏らの連合軍と伊達軍との激戦が行われた『人取橋古戦場』があります。 人取橋古戦場とは、伊達政宗が畠山義継(二本松城城主)によって父である伊達輝宗が拉致され国境を超える場所で政宗が阻止・殺害(両名を)し、『父親の弔い合戦』として二本松城を攻撃したのをきっかけに、勢力拡大 […]

大森城(福島県)

大森城の感想 大森城は福島市の少し南(福島南IC付近)にある小高い丘の城です。行ったときは朝早く気晴らしに行ってみたのですが・・・・え???伊達氏とすごく所縁のある城で、しかも城主が伊達実成だった時もあるんだなんて!?勉強不足は申し訳ないのですが、行ってみて初めて知ることもめちゃめちゃありますねぇ~(〃艸〃)ムフッ 大森城がいつ築かれたのはよくわからないみたいですね~ ただ、昔から有力国人の城だっ […]

九戸城(岩手県)

九戸城の感想 念願が叶いました~♪ 九戸城です(((o(*゚▽゚*)o)))南部氏を語る上では、北の津軽氏そして南の九戸氏を語らなければならず、特に九戸政実(くのへまさざね)は、南部信直に対し最後の最後まで南部氏の主と認めず反抗を続け、南部信直への反抗から豊臣政権を巻き込んだ反抗となる『九戸政実の乱』へ大きく発展し、豊臣秀吉の天下統一国内最後の戦として九戸城は名を残します。 九戸氏は南部宗家と同じ […]

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