会津若松城(鶴ヶ城)の感想
有名な福島を代表する名城『会津若松城』です。
別名を鶴ヶ城ともいい美しさを表現しているのでしょうか?笑
会津若松城も別名かもしれませんね。
文献では『若松城』若しくは『黒川城』を記載されている方が多いです。
黒川城の名の通り蒲生氏郷が入城し『若松城』と名前を変えました。
それまでは蘆名(あしな)氏7代目当主の蘆名直盛が黒川館を構えたのが
スタートみたいですね。
当時はその名の通り館だったみたいですが、その後は城らしく牛沼を本郭に備え
帯郭・二郭・三郭・北出丸・西出丸などを整備し強化していたみたいです。
20代目当主のころには佐竹義重の次男義広が当主として蘆名家を継ぐが、
蘆名家の組織は崩壊・・・伊達政宗にやられちゃいます。。。
その後、伊達政宗も抑えた豊臣秀吉が伊達政宗の領地を没収し、
伊達・徳川の抑えとして名将蒲生氏郷をこの地を与え会津若松城を築城(改城)させます。
蒲生氏郷の後は上杉景勝が入城し、よほどこの会津は重要なエリアだったんでしょうね。
江戸時代になり徳川家光の庶弟である保科正之が23万石で入封。
以降は会津松平家の居城となり戊辰戦争の激戦区、そして白虎隊などの悲劇を生む舞台として
有名になる場所ですね。
流石、会津を代表とする名城です。
会津若松城画像ギャラリー
白虎隊自刃の地
会津若松城から約4㎞先の飯盛山に『白虎隊自刃の地』があります。白虎隊は会津藩が組織した
武家の16歳~18歳の男子を集めて結成させた部隊です。
白虎隊の他にも、玄武隊、青龍隊、朱雀隊があり、 玄武隊は50歳以上の武家の男子によって
構成された予備隊の部隊。 青龍隊は36歳から49歳までの武家の男子によって構成された国境守備隊。
朱雀隊は18歳から35歳までの武家の男子によって構成された実戦部隊で主力部隊だった様です。
因みに・・・白虎隊で自刃したのは一部のメンバーで200名以上の白虎隊メンバーはその後も生き残り
幕末を迎えています。。。
ここから会津若松城を見る事が出来ます。
白虎隊自刃の地画像ギャラリー
会津若松城情報
築 城 | 1384年 |
城 主 | 蘆名氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏、加藤氏、保科氏、松平氏 |
住 所 | 福島県会津若松市追手町 |
種 別 | 平山城 |
廃 城 | 1874年 |
特 徴 | 国指定史跡 日本100名城 ※日本100名城スタンプは鶴ヶ城売店の出入口にて押せます |
入場料 | <会津若松城(鶴ヶ城)> 大人410円(天守閣・麟閣共通券 大人520円) 小中学生150円 <白虎隊自刃の地> 無料 |
営業時間 | <会津若松城(鶴ヶ城)> 天守閣への入場8:30~17:00(入場締め切りは16:30) <白虎隊自刃の地> – |
会津若松城(あいづわかまつじょう)へのアクセス
白虎隊自刃の地(びゃっこたいじじんのち)へのアクセス
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