別所長治公の首塚の感想
わずか26歳で織田信長(羽柴秀吉)に刃向かい三木城に籠城の末、お城を開城し切腹となった別所長治の首塚に行ってきました。ほぼ三木城と繋がっていると言っても間違いじゃないくらいの場所に雲龍寺というお寺がありそのお寺に別所長治公の首塚があります。一緒に妻、照子婦人も並んで首塚が建てられております。
別所長治の辞世の句は
「今はただ うらみもあらじ 諸人の いのちにかはる 我身とおもへば 」
と書かれており、諸人、領民の命が助かるのであれば、我が身、自分が死ぬことなどで恨んだりはしない。と言ったような意味になるかと思われます。領民の命と引き換えに城を開城した別所長治らしい句だと個人的には思います。
ただ、妻子など含め別所家に関わる人間は全て自害させられています。その無念さはあったかもしれなかな?なんて考えたりもしますね。。
別所長治公の首塚画像ギャラリー
雲龍寺の駐車場脇に案内板がありました。ここから入らせていただきます。




別所長治公・照子婦人の首塚
別所長治公・照子婦人の首塚がありました。
別所長治公の辞世の句などを読むと今でも地元で愛されている武将である理由がわかる気がしますね。

三木城の石垣
実際に三木城に使用されていた石垣とのことです。

別所長治公の首塚情報
年 代 | 1580年没 |
住 所 | 鳥取県倉吉市東町422 |
種 別 | 史跡 |
入場料 | 無料 |
営業時間 | – |
駐車場 | 無し |
別所長治公の首塚へのアクセス
別所長治公の首塚レビュー
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