砥石城の感想
長野にも真田氏の砥石城(武田信玄が村上義清に敗れた砥石崩れの城)が有名ですが、今回の砥石城は備前国の中心地だった福岡や西大寺、千町平野(大穀物地帯)を見渡せる、標高100mぐらいの平野に突き出した砥石山の尾根に築かれた、宇喜多氏ゆかりの城です。
築城は不明で宇喜多直家の祖父にあたる宇喜多久家の時から浦上氏の城番か何かで関わってから、宇喜多久家→能家→興家→直家(誕生の城)と宇喜多代々の城となったみたいです。
約1㎞先には同じ浦上氏の家臣である島村貫阿弥の高取山城があり、尾根で砥石城と高取山城は繋がっていたとか!?諸説あるみたいですが、宇喜多能家が隠居し、興家が城主、直家が子供の頃に、浦上宗景からの命で島村貫阿弥が砥石城を襲い宇喜多能家が討死、興家・直家親子は辛くも逃亡し西大寺や福岡の町で隠れ暮らしますが宇喜多興家は数年後に暗殺されてしまいます。宇喜多直家は孤児となり梟雄宇喜多直家がスタートするのですが、最近の研究では江戸時代に作られた創作の話のような感じです。
実際には浦上宗景(弟)と浦上政宗(兄)は敵対しており、浦上宗景が備前国で独立したのに対し、浦上政宗は備前国から播磨国へ追われてしまい、赤松晴政の家臣となり赤松氏の筆頭家老となります。宇喜多氏が砥石城を追われ、後に砥石城主とるのが同じ宇喜多氏の流れを組む別家の浮田国定です。浮田国定は浦上宗景ではなく浦上政宗に付いていたので、砥石城は浦上政宗が備前国への巻き返しを図り、赤松氏と協力して要の砥石城を落城させ、激しい反発を防ぐため同族の浮田国定を城主として据えたんじゃないかと思います。
どちらにしろ、この砥石城は戦国の梟雄宇喜多直家にとっては重要な城であり、人生をスタートさせた城には間違いありません!私にとっても来たくて来たくてたまらなかった砥石城攻め!!!念願叶いました(⌒∇⌒)~♪ が・・・・その前の天神山城攻めで足がガクガク・・・暑さでクラクラ・・・だったのでかなり厳しい城攻めとなりました♪
砥石城画像ギャラリー
砥石城の入口を発見しました!
奥を覗けば急こう配の斜面に続く階段があります・・・ひえー!(´;ω;`)ウッ… こりゃ~厳しそうだぁ~
砥石山の斜面に沿ってジグザクに細い山道が続きます。急斜面を這うようにして登っていくので山の高さは稼げますが、急勾配でこれが当時の道ならば細くて防衛もし易かったかもしれませんね。
細いジグザグの急こう配に悪戦苦闘していましたが、ようやく山頂(尾根?)が見えてきて明るくなりました♪
中腹の尾根に到着!
尾根は三か所に繋がっているみたいですが、私は迷わず砥石城方面に攻め続けます♪
ん????城があったような痕跡が出てきました・・・
石の階段です
お!!!ここは何だろう???門の跡かなぁ???(^▽^)
たぶん、本丸の手前の門を備えた曲輪だったのかもしれません。
これを抜けていくと・・・・・・・・
砥石城の本丸に到着しました♪♪♪(〃艸〃)ムフッ
当時を感じさせる石垣がありますねぇ~ 野積みの石垣だそうです!それにしてはきれいだな!
この爽快感がたまりません!
なるほど!砥石城は五連郭の本城(長方形の本丸+本丸の先端にある三段の曲輪+本丸後方の曲輪)と、堀切を備えた四つの郭で出来た出城で構成されている城みたいですね(* ´艸`)
砥石城から見る風景です!凄いです!千町平野が一望でします!!!!大興奮です!!!
川も豊富で肥沃な平野だったんだということがよくわかりますね。ここは重要な穀物地域(生産性の高い)だったので、砥石城と高取山城の両城でこの土地を支配する必要があったんですなぁ~(^▽^)/
石垣の上まで行って見下ろしてみました!コワ!!!!(´;ω;`)
念願叶いました!!!(((o(*゚▽゚*)o))) 砥石城!最高です!!!!
砥石城情報
築 城 | 不明(1480年ごろ) |
城 主 | 浦上氏、宇喜多氏、島村氏 |
住 所 | 岡山県瀬戸内市邑久町豊原 |
種 別 | 山城 |
廃 城 | 不明 |
特 徴 | – |
入場料 | 無料 |
営業時間 | – |
駐車場 | 無し |
砥石城へのアクセス
砥石城レビュー
砥石城についての皆さんの評価をお願いします。
砥石城おすすめの理由や訪問時の感想などもご記入いただけると嬉しいです。