江美城 / 江尾城 / 江尾要害の感想
江美城(えびじょう)の築城はいつだかわかりませんが蜂塚安房守が築城したと云われています。
蜂塚氏は清和源氏の新田氏系の流れを組むとか!?!?伯耆国日野郡の国人領主として発展していったようで、築城した蜂塚安房守が一代目と考えれば、二代目の蜂塚三河守、三代目の蜂塚丹波守と続いていましたが、後に尼子氏が伯耆国に侵入すると尼子氏の下へ属した。4代当主の蜂塚右衛門尉(はちつかうえもんのじょう)は尼子氏から毛利氏に通じるようになりましたが、再び尼子氏に通じたため1564年に毛利氏方の武将 杉原盛重・山田満重に攻められ、江美城は落城し蜂塚右衛門尉とその一族は江美城内で自害し果てたとされています・・・80年間在籍した江美城で蜂塚一族は滅亡したものと思われます。
江美城は大山山塊が日野川に突き出した比高40メートルの台地上にあります。
江美城の主郭(本丸)は東背後に大堀切を設けて台地と切り離し、堀切に面して石積を伴う櫓台を設けているみたいです。主郭(本丸)の西側に堀切を挟んで八幡丸があり、その下に歴史民俗資料館として建てられた模擬天守風の建物がありましたぁ~((* ´艸`)クスクは大山山塊が日野川に突き出した比高40メートルの台地上にあります。江美城の主郭(本丸)は東背後に大堀切を設けて台地と切り離し、堀切に面して石積を伴う櫓台を設けているみたいです。主郭(本丸)の西側に堀切を挟んで八幡丸があり、その下に歴史民俗資料館として建てられた模擬天守風の建物がありましたぁ~((* ´艸`)クスク
江美城 / 江尾城の感想
江美城は山陰を代表とする大山の西南麓にあります。
すぐ目の前には日野川が南から北へ流れておりその川は米子まで続きます。川を使った物流の要害だったことがわかりますね。日野川から東に入ったところに城下町があり、そのさらに西側に江美城があります(^^)/


入口を発見し急な坂を登って行きます♪



八幡丸(模擬天守)
模擬天守風の建物が出てきました! 資料館かな!? 開いていませんでした(。-_-。)


案内板がありました!

石垣らしき跡がありました! 蜂塚氏が滅んだあとは、たぶん毛利家(吉川元春)の配下にあったものと思われ、この石垣はその時に築かれたものかもしれません<(`^´)>






開けました~♪(●^o^●)


西の丸
ここが八幡丸?西の丸?なのですかねぇ~??? (。◕ˇдˇ◕。)/ 到着でぇ~すぅ~♪





空堀
大きな空堀を越えながら主郭(本丸)なのかな?って場所に行ってみました(^^)/



本丸
農地になっていましたぁぁぁ~((´∀`*))ヶラヶラ~笑笑




石積み
石積みを発見!!! 萌え~(●´ω`●)♪









江美城の城下では、『江尾十七夜』をやっていました! 江美(江尾)城下では盂蘭盆十七日の夜には城門を開放し、町民や農民たちが自由に場内を出入りすることを許し、無礼講として、盆の供養と豊年を祈る踊りと力くらべの「力角」で一夜を明かすことを常としていたみたいで、訪れた時がちょうどお祭りの時でした♪



江美城 / 江尾城 / 江尾要害情報
築 城 | 1484年 |
城 主 | 蜂塚氏、毛利(吉川)氏 |
住 所 | 鳥取県日野郡江府町江尾 |
種 別 | 山城 |
廃 城 | 1564年 |
特 徴 | 町指定史跡 |
入場料 | 無料 |
営業時間 | – |
駐車場 | 有り(無料) |
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