藤橋城の感想
藤橋城は築城はいつかはわかっていませんが、平山虎吉や藤橋小三郎の居城跡と伝わっています。
北条氏照の家臣と云われていますが、そもそも平山氏は武蔵七党のひとつである西党の出身で、源平合戦において名を馳せた平山季重の後裔であると云われています。戦国時代に平山氏の宗家は檜原城を居城とし分流が藤橋城を居城としたとか・・・らしいです。(^▽^)/ ここは東京都青梅市になるのですが、藤橋城に来る前に城攻めした、今井城(今井氏=児玉党)とか、武蔵七党っという集団が関東一円に存在し、この青梅市一帯でも隣接してるなんて少し面白く興味が湧いてきました~(o^―^o)ニコ やっぱり歴史って面白いですね~知らない事ばかり!
その後、1560年に関東へ出馬した上杉謙信の幕下に藤橋城主だった平山光義の名があったようです。平山光義は北条氏に藤橋城を攻め落とされ小田原城で拘留されていたが、その後に下総多古へ落ち延び上杉謙信のの幕下になったのではないでしょうか?
平山氏が追い出されると藤橋小三郎が藤橋城主となったようです。青梅の国人領主であった三田氏の嫡流が1653年に辛垣城の攻防戦に敗れて滅びたが、一族だった三田治部少輔は北条氏に仕えて清戸三番衆に名を連ねるまでになっています。その配下の中に藤橋小三郎の名が見えることから、藤橋城は北条家家臣となった藤橋小三郎が居城として治めたようですね! 因みに・・・藤橋小三郎は平山氏の一族であり三田氏配下の中では二番目の大身だったらしいです! しぶとくて素敵!
藤橋城画像ギャラリー
城址は藤橋城址公園として整備されており土塁を確認することができます。
後で調べると・・・私が行った藤橋城は『主郭』の場所でこの『主郭』は堀で囲まれていた様です。『主郭』を中心に南西の場所に『二の郭』が、北東の場所に『三の郭』があったようです!
















藤橋城情報
築 城 | 不明(平安時代?) |
城 主 | 平山氏、結城氏、日根野氏、阿部氏、三浦氏、松平氏、加藤氏、鳥居氏 |
住 所 | 栃木県下都賀郡壬生町本丸1丁目8−33 |
種 別 | 平山城 |
廃 城 | 不明(1590年?) |
特 徴 | 市指定史跡 |
入場料 | 無料 |
営業時間 | – |
駐車場 | 無し |
藤橋城へのアクセス
藤橋城レビュー
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