(羽柴)秀吉本陣跡の感想
三木合戦の際に秀吉が本陣として使用した陣跡になります。平井山ノ上付城跡(ひらいやまのうえつけじろあと)とも呼ばれているそうです。
三木合戦は秀吉を離反した三木城城主の別所長治を討伐するための戦いになります。
案内板には「天正6年(1578)7月、織田信長の長男、信忠が三木城を支援する神吉城や志方城(ともに加古川市)を攻略した後、築城したとされている。8月に羽柴秀吉が入ると、10月15日に津田宗及を招いて茶会を開催した。同22日に別所方が襲来して合戦が繰り広げられたが、別所長治の弟別所治定らが討死する等、別所方の敗北に終っている。」との記載があります。
本陣跡ということで簡易的なお城(陣跡)を想像していくとかなり細かく曲輪を配置した山城で建物跡などは分からないので建物まで簡易じゃなかったのかどうかはわかりませんが、城の構造としては本格的な山城の作りをしていて驚きました😳
秀吉の中国攻め当時の強さがよくわかります。
(羽柴)秀吉本陣跡画像ギャラリー
登り口に説明版がありました。なかなか奥に広い山の尾根沿いを活かした山城のようです。
国指定史跡なのでたぶん登城ルートは綺麗に整備されていると思います!では出発です!!

羽柴秀吉と竹中半兵衛の幟が立ってますね。




階段登った後も登り坂が続きます。


登り切ったら細い尾根沿いを歩いていきます。

段状の平坦地群
細かく山の斜面に合わせて帯曲輪のような細い曲輪がいくつも作られている感じです。実際に見るとなかなかすごい作りですよ!






看板が見てきました。曲輪かな?


主郭まであと120mの表示でした。あと少し!




太閤道
尾根上のこの細い山道は太閤道(たいこうみち)という名前がついているようです。




主郭
太閤道を抜けて主郭に到着です!







櫓台状の土盛りがあるとのことなので行ってみます!

なんか櫓台の跡のような土盛りが見えてきました。


櫓台状の土盛り
櫓台状の土盛り到着!!
中世の墳墓を利用したものと書いてあるので古墳?になるんですかね。


(羽柴)秀吉本陣跡情報
築 城 | 1578年 |
城 主 | 羽柴(豊臣)氏 |
住 所 | 兵庫県三木市平井 |
種 別 | 山城 |
廃 城 | 1580年? |
特 徴 | 国指定史跡 |
入場料 | 無料 |
営業時間 | – |
駐車場 | 有り(無料) |
(羽柴)秀吉本陣跡へのアクセス
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