比延山城(兵庫県)

比延山城(兵庫県)

比延山城の感想

比延山城は「ひえやまじょう」もしくは「ひえさんじょう」と読むみたいです。比延山城は黒田重隆の妻の家系、比延氏の居城でした。
比延氏ですが、赤松氏の子孫の本郷氏がこの比延庄に領地をもらい、後に比延氏を名乗るようになったことで始まった家系とのことです。築城年代は不明ですが1394年ごろと推定されているようです。
ここの駐車場脇にある比延山城の説明を読むと「黒田官兵衛の父、重隆の妻、比延常範(ひえつねのり)の娘」との記載があり頭が混乱😵‍💫
黒田官兵衛の父は職隆じゃないの?重隆は官兵衛のおじいちゃんだよね??
あとで調べてみると黒田家の系図には2パターンあるようで、
(祖父)黒田重隆→(父)職隆→孝高(官兵衛)とするよく知られている系図。
(父)黒田重隆→孝高(官兵衛)でのちに孝高(官兵衛)が猶子(養子)に小寺職隆の子として出され(父)小寺(黒田)職隆→孝高(官兵衛)となったという家系図があるようです。
西脇市は②こちらの系図を正とされているようでこの案内板の説明となっているみたいですね。
比延氏ですが、嘉吉の乱(1441年)以降弱体化していき、江戸時代前には比延山城は廃城になっていたとのことです。

比延山城は登山としても人気があるようで、自分が訪れた時にも結構登山者とすれ違いました。
遺構としてはそれほど多くのものが見られる山城では無いですが、頂上からの景色が非常によく
登山としても人気があるのがわかる気がします。

比延山城画像ギャラリー

公園の駐車場に車を停めて山登りスタートです!

この説明板間違ってないですかね?と思ったのですが、黒田官兵衛の父が黒田重隆と書かれてますが、このような記録の家系図も存在するみたいですね。職隆は小寺家の人物で官兵衛は職隆の猶子(養子のようなもの)という話もあるようです。

駐車場からグラウンドの方へ進んでいきます。

グラウンドに入ると脇には土塁があります。たぶん比延山城で一番の見どころかもしれないです。山頂は遺構がよくわからないのでこんなにはっきりとわかるのはここだけだと思います。

分かりづらいですが、ごのサッカーゴール脇に比延山城への登頂口があります。
グラウンドの一番奥側のフェンスに切れ目がありそこから登っていきます。

頂上まで700m!頑張ります!!

道は整備されているので迷子にはなら無さそうな感じです。

木々が風を遮ってくれるので結構風がなく夏登るのはつらいです。強風の際には助かりそうですが。。
あと残り500m!

特に遺構らしきものは無く同じような登り道が続きます。
残り400m!

長期連休の訪問なので意外と他の登山者とすれ違います。
残り350m!

今だに遺構らしきものは見られず登り続けてます。
残り300m!

激しい急坂になってきました!残り250mくらいからはロープがあったりとなかなか険しい登山道になりますので注意が必要です。

画像ではわかりづらいですが、かなり急な斜面を登るのプラス地面が少し濡れていて粘度質なので結構すべります。場所によっては苔も生えてます。
怖いし結構体力使います💦

残りあと150m!まだそんなにあるのか。。

残り100m!あと少し!

とにかく後半250mくらいからロープを使った登山道になるので上半身も結構体力使います。
どんな斜面なのか角度伝わりますかね?

あと50m!

頂上に到着!!きれいな景色ですねー😍

特に遺構らしきものもわからずですが、

比延山城登城完了です!!

比延山城情報

築 城不明(1394年ごろ?)
城 主比延氏
住 所兵庫県西脇市鹿野町
種 別山城
廃 城1871年
特 徴
入場料無料
営業時間
駐車場有り(無料)

比延山城へのアクセス

比延山城レビュー

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