香川親和の墓の感想
土佐の英雄長宗我部元親の居城だった岡豊(おこう)城の裾野に、ひっそりとあるお墓を発見しました・・・『香川親和の墓』です。。。
香川親和は長宗我部元親の次男として誕生し、長宗我部元親が四国統一を図るために讃岐国に侵攻した際に西讃岐四郡の守護代であった香川之景(信景)の養子として送り込まれ、香川五郎次郎と名乗り香川軍勢を率いて讃岐の中西部を転戦し讃岐の制圧に貢献していました。讃岐平定がほぼほぼ終わった1583年に『天霧城』に入城した記録が残っており、長宗我部軍は天霧城を伊予攻略の拠点にしようとしたみたいで、東伊予と讃岐の支配を意図したものと思われます。
しかし、豊臣秀吉の四国征伐により長宗我部元親が降伏すると香川氏は改易となってしまいます。香川親和は人質として大和郡山に送られ1年後に岡豊城に帰国しますが、岡豊城下に一部の土地を与えられ数名の家臣と共に住み始めます。
同年、長宗我部氏も豊臣秀吉の九州平定に駆り出され、戸次川の戦い(へつぎがわのたたかい)で、元親最愛の嫡男、長宗我部信親が討死してしまいます。。。豊臣秀吉に親和に家督を継がせるように云われたのですが、長宗我部元親は4男の盛親に家督を継がせてしまいます。
ほどなく親和は病死しますが、家督相続をめぐるショックから病気になったとか、断食して命を絶ったとか、長宗我部元親(父親)による毒殺とか・・・いろいろ云われているみたいですね。
いろいろあったせいか、親和の遺体は一族累代の墓所には葬られず、岡豊城の片隅にひっそりと葬られていました。。。(´;ω;`)ウゥゥ
香川親和の墓画像ギャラリー
岡豊城の駐車場に向かう途中に『香川親和の墓』はあります!
本当に岡豊城の麓にひっそりとありこの脇の藪の中を通て行きます!
少し降ったところにありました。。。
なんだか・・・・モノ寂しいですなぁ・・・・・(´;ω;`)ウッ…
香川親和の墓情報
年 代 | 1587年 |
住 所 | 高知県南国市岡豊町八幡 |
種 別 | 史跡 |
入場料 | 無料 |
営業時間 | – |
駐車場 | 無し |
香川親和の墓へのアクセス
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