糟屋武則の墓(東京都)

糟屋武則の墓(東京都)

糟屋武則の墓の感想

糟屋武則の墓へ行ってきました。加古川城の称名寺にも糟屋武則のお墓があるらしいですが、今回は東京都中野区にある「龍寶山功運寺(ばんしょういんこううんじ)」の糟屋武則のお墓になります。糟屋武則と言っても知らない方も多いのではないでしょうか。糟屋武則は豊臣秀吉に仕えた武将で、「賤ヶ岳の七本槍」の一人です。ただとある理由から一番知られていなく生涯も謎の武将です。賤ヶ岳の七本槍とは、豊臣秀吉と柴田勝家が戦った「賤ヶ岳の戦い」でこの戦いで豊臣秀吉側で活躍した7人「加藤清正」「福島正則」「加藤嘉明」「平野長泰」「脇坂安治」「片桐且元」そして「糟屋武則」を指して呼ぶ言い方です。
糟屋武則について書かれているものが少なく賤ヶ岳の七本槍の中でも知られていないのは関ヶ原の戦いで西軍についたので西軍が負けたと同時に改易になり、敗者の記録は捨てられていくか、書き換えられていくので糟屋武則の関ヶ原以降などは色々な説があるようで正確に亡くなった年などもわかっていないようです。ただ、龍寶山功運寺でも一番奥にひっそりとお墓があり、どういった縁でここにお墓があるのかはわかりませんでした。ちなみに龍寶山功運寺は忠臣蔵などの赤穂浪士の赤穂事件で討たれた吉良義央(吉良上野介)のお墓があることでも有名です。
こちらの龍寶山功運寺ですが、2つのお寺が合併しているとのことですが、萬昌院(万昌院)は創建が今川長得で今川義元の三男に当たる方なので今川家のお墓もあるのがわかります。前回の投稿で書いた今川氏真の墓も元々はこちらにあったようです。

糟屋武則の墓画像ギャラリー

ちなみにお寺の中にはまこと幼稚園という幼稚園もありますので迷惑がかからないように訪問されることをおすすめします。

いろんな有名な方の菩提所になっているようで案内がありますが、「糟屋武則」の名前はここでは書かれておらず間違えたかな?と少し不安になりました。

墓地の入り口に有名な方々のお墓がどこにあるのか案内図がありました。一番左奥の12番が糟屋武則のお墓なのでそこを目指して進んで行きます。

糟屋武則の墓

お墓のところに糟屋武則墓と案内が出ておりました。

水野重郎左衛門の墓

字が違うみたいですが、水野十郎左衛門(水野成之)のお墓とのことです。水野勝成の三男、水野成貞の息子にあたる方のようです。

吉良義央(吉良上野介)の墓

赤穂浪士の討ち入りで亡くなったかた全員の名前が書かれているので、吉良上野介だけでなく家臣も含めて弔われているようです。

糟屋武則の墓情報

創 建1574年
本 尊釈迦如来
住 所東京都中野区上高田4-14-1
種 別寺院(龍寶山功運寺)
特 徴
入場料無料
営業時間
駐車場無し

糟屋武則の墓へのアクセス

糟屋武則の墓レビュー

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