武田勝頼公(夫人/信勝)の墓の感想
前回の続きから・・・織田軍の総攻撃に未完の新府城を焼き払い撤退を余儀なくされた武田勝頼は、当初、親族の小山田信茂の岩殿城を目指し共に撤退を行うが、途中、この小山田信茂に裏切られ岩殿城への入城(小山田領地への入国?)を拒否されてしまうため、武田家とゆかりのある天目山棲雲寺(せいうんじ)を目指し、この甲州街道(国道20号線)から外れ現在の県道218号線の日川沿いを進むこととなり、その途中、田野村で織田軍側の滝川一益の追手に追いつかれ戦い後、最終的にはここで武田勝頼、北条方から嫁いできただろう夫人、そして嫡子の信勝と共に自害してしまいます。→自害場所とされている生涯石の投稿はこちら武田勝頼(夫人/信勝 )生害石
ここに甲斐武田氏は歴史的には滅亡してしまいます・・・因みに・・・武田勝頼・信勝父子の首はここで切り落とされ、首級は京都に送られ六条河原に晒されたようです。。。むごい!
武田勝頼公/夫人/信勝のお墓画像ギャラリー
武田勝頼公/夫人/信勝のお墓は、この『景徳院(けいとくいん)』にあります。景徳院は後に武田勝頼父子および家臣を慰霊するために、徳川家康が創建したと云われているみたいですね。当時の武将たちは特に『武田』『源氏』『信玄』にシンパシーを感じていたのかもしれません。
景徳院の手前には『首洗い池』があり小さな滝が流れています。
自害した武田勝頼・信勝父子はその後首を切り落とされ、ここ首洗い池で清められて、父子の首は京都に運ばれたようですね。
門をくぐって登っていくと・・・『没頭地蔵尊』に着きます。
『没頭地蔵尊』とはその名の通り・・・自害し首を切り落とされた武田勝頼/北条夫人/信勝の首無し遺体を埋葬した地蔵尊となるみたいですね。
武田勝頼 / 夫人 / 信勝 その他家臣団が埋葬されている、『武田勝頼/夫人/信勝の墓』です。
たぶん、徳川家康とかが景徳院を建てたときにあらためてお墓を整理したのかなぁ~?って思います。
この後・・・別のコンテンツで、武田勝頼/夫人/信勝の自害した場所に続きます・・・(^▽^)/
武田勝頼公(夫人/信勝)の墓情報【景徳院】
創 建 | 1583年 |
本 尊 | 釈迦如来 |
住 所 | 山梨県甲州市大和町田野389 |
種 別 | 寺院 |
特 徴 | 県指定史跡 |
入場料 | 無料 |
営業時間 | – |
駐車場 | 無料 |
武田勝頼公(夫人/信勝)の墓情報【景徳院】へのアクセス
武田勝頼公(夫人/信勝)の墓情報レビュー
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