腰越城(埼玉県)

腰越城の感想

青山城 / 割谷城から約5.4km先に、扇谷上杉氏の家臣だった武蔵松山城の城主、上田氏が青山城と同様に支城として築いたとされているのが『腰越城』です( `ー´)ノ
上田直朝の重臣である山田直定が城主をつとめた城で、代々山田氏の居城となっていた様です。目立った戦闘の記録はないものの、1590年の豊臣秀吉の小田原征伐の際に武蔵松山城と共に落城したんじゃないかと思われます。その後は・・・そのまま放棄されて廃城となったのではないかと思います。

『腰越城』は槻川(つきかわ)の蛇行部に突き出た山の上にあり、東には小川町の市街地が広がります。(昔は城下町だったんですかね・・・田んぼだったのかな・・・)
主郭は山頂にあり南北に長い長方形で西側に土塁で囲み防衛ラインを築いています。 北背後は高い切岸で、北尾根には堀切を設けて敵の侵入を防ごうとしています。 主郭は南に虎口を設け帯曲輪を経て南下し二郭へとの流れになっています。二郭は主郭の南下に位置し、東測面から南尾根方向に広い削平地を持つ。南尾根は堀切を経て三郭へと通じていました(⌒∇⌒)

腰越城の南東には青山城/割谷城があり、その先には小倉城がほぼ一直線に並んでいる状態です。これら三城はとても連携的で考えられた縄張りをしており、ある種の防衛ラインを構築していたのではないかというのが、実際に城攻めしてみて気付いた発見です(`・ω・´)ゞ
上田氏が後北条氏の侵攻に備えた防衛ラインだったんじゃないのか?って私は思っています(o^―^o)ニコ

腰越城画像ギャラリー

市道11号線(熊谷小川秩父線)沿いを進むと『腰越城』の案内板が出ています!
案内板を目印に民家の脇から腰越城に侵攻しましょう( `ー´)ノ

標高216mの山頂に築かれた腰越城は、非常に整備されており城攻めはとても攻めやすいです。感謝!感謝!ですなぁ~(●^o^●)

埋もれて確認しずらいかもしれませんが、山肌に石垣(岩?)の跡が確認できますねぇ~

さっそく~本郭が見えてきましたよ~(⌒∇⌒)

いやいや違うなぁ・・・こりゃ~本郭まで行くのにぐるっと二郭・腰曲輪あたりまで行かなければいけないみたいですね~♪

進んでいくか!!! 実に面白い♪♪♪

二郭方面は通行禁止になっているので、腰曲輪方面に進んでいきたいと思います!残念!

両脇には竪堀があり抜けると広めの帯曲輪に到着です♪

帯曲輪

虎口方面に進んでみます! 加工された岩が出てきました。帯曲輪の場所に門などが設置されていたのかもしれませんね。。。

虎口かな?(`・ω・´)ゞ  いやいや竪堀や空堀などだろうなぁぁぁ

二の郭

二の郭に突入です!!!!

本郭へ向かいますが・・・いい感じでうねっていますなぁぁぁ~(●^o^●)

本郭

本郭に到着です♪ ヾ(≧▽≦)ノ~♪ やったぞぞぞぞぞぞぞぞっぞぉぉぉぉぉぉ

腰越城情報

築 城不明
城 主山田氏
住 所埼玉県比企郡小川町腰越1038
種 別山城
廃 城不明(1590年ごろ?)
特 徴県指定史跡
入場料無料
営業時間
駐車場無し

腰越城へのアクセス

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