幸谷城/幸谷城館の感想
幸谷城(こうやじょう)は狐山という場所に築かれたお城で、現在は一般の方の土地になっている場所を開放してくれているところのようです。とてもありがたいです。そのため、特に案内も無く、地元の方でないと人の家に入るような場所が入り口となっており入って良い場所なのか躊躇する感じです。私はぐるりと一周して意を決して入ってみたら合ってました。
幸谷城は発掘調査としては近世、戦国時代くらいの遺構と推定されているようですが、鎌倉時代から相馬氏がこの地に住んでいたとされているので発掘調査された遺構のさらに下、もしくは住宅地になってしまっている周辺どこかに鎌倉時代の幸谷城もあるのかもしれないです。ちなみに福島県相馬市ゆかりの武将、相馬氏の発祥はこの地であり、流れとしては、千葉氏の系譜で、千葉常胤の二男師常がこの地に来た時に相馬を名乗るようになり、やがて源頼朝から相馬重胤が福島県相馬の地をもらい、下総相馬氏と奥州相馬氏に別れていきます。奥州相馬氏は相馬中村藩として明治まで残り、下総相馬氏は豊臣秀吉の小田原征伐で城を追われますが、その後、関東へ移封となった徳川の支配の元で旗本として生き残ったようです。
最初は増尾城の支城だと思い特に調べることもなく幸谷城を訪問し相馬氏の発祥に関連した場所だとは後から調べてしりました。訪問して良かったです。
武将とは関係ないですが、この幸谷城の場所は洋画家「高島野十郎(1890-1975)」が晩年3年間を居候し「五重塔」を描き残した、終焉の地とのことで案内板がありました。私はあまり画家などには詳しくないのですが、興味のある方はこちらを理由に訪問してみるのもありかと思います。
幸谷城画像ギャラリー
住居として住まわれているいるようですのでご迷惑のかからないように訪問させていただきます。
案内板も立ててくれておりわかりやすいのですが、廃城後に遺構としては畑などで使用されてしまっていたのかうっすらなんとなくといった感じです。
虎口は正直どこが虎口だったのか案内板と照らし合わせてもわからなかったです。少しこんもり土が盛られているのでそのあたりですかね?
土塁はなだらかにはなってしまっていますが、綺麗によく残っていると思います。見た目にも土塁だとわかります。
こちらは虎口だったかはわからないものの、土塁が切れているので何かしら城への入り口があったことは今でもわかる遺構となっていました。すぐ隣は住宅街になっています。
ここは、だいぶ埋まってしまっていますが、堀跡がよくわかる遺構でした。
この辺りは見応えありました!ガイドもあるので照らし合わせながら遺構を巡れるのはうれしいですね。
うっすら土塁の一部が残っている感じですね。
散歩にちょうど良い歩きやすく整備された城跡でした。
これで入り口にの方へ戻ってきたので幸谷城登城完了です!
幸谷城情報
築 城 | 不明(鎌倉時代?) |
城 主 | 相馬氏、高城氏 |
住 所 | 千葉県柏市増尾4丁目11 |
種 別 | 平城 |
廃 城 | 不明(1590年ごろ?) |
特 徴 | – |
入場料 | 無料 |
営業時間 | – |
駐車場 | 無し |
幸谷城へのアクセス
幸谷城レビュー
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