松井田城の感想
群馬県の松井田町にある松井田城へ行ってきました。
みなさん行かれる際は2点注意して行かれるようにしてください。まず、1点目「熊」に対してです。音を出す「熊よけの鈴」、もしあれば熊撃退スプレーを持っていると良いかと思います。もし鈴など持たずに行かれた場合は必ず入り口に「お菓子の缶」と「木の枝」を置いてくれていますのでこちらで音を出しながら登るようにしてください。次に2点目は冬以外に行かれる方対象で「山ヒル」対策です。ちなみに今回の訪問は「山ヒル」で痛い目に遭いました。山ヒル注意の看板がありましたが装備が不十分でした。。
どんな対策が必要か?ですが、
・「ヒル避けスプレー」。もしくは「虫除けスプレー」でもある程度防げます。登りながら定期的にスプレーし続けるのをお勧めします。ちなみにくっついてしまった場合も虫除けが有効です。
・「長靴」。ブーツに近い山登りもできそうなタイプで上を絞ってヒルの侵入を防げるものがベスト。トレッキング用のスニーカーやブーツではいつの間にかヒルが入ってきて噛まれます。
上記2点はマストで、他の方の話ですと足元以外にもヒルが上から落ちてきたりするとのことなので、
・「レインウエア」「ウインドブレーカー」など
・「ゴム手袋」など
があれば完璧かと思います。
松井田城についての説明が遅くなりましたが松井田城の歴史を簡単に記載させていただきます。
松井田城は北条時頼が鎌倉時代の1262年に築城を命じて創らせたお城とのことです。この頃は松ヶ枝城と呼ばれていたようです。戦国時代になり安中氏が改修して武田氏との戦いに備える城になりますが、安中氏は戦いに敗れ松井田城は武田氏の支配するお城となり武田家臣の小宮山氏が入ります。その武田氏は織田信長に敗れ、松井田城はその後、織田氏支配になります。そして織田氏家臣の滝川一益がこの周辺の支配を任されて、滝川一益の家臣、津田氏(津田小平次)が松井田城に入ります。ただ織田氏の支配は長くは続かず、1582年の本能寺の変で織田信長が滅亡すると、北条氏が支配する地域になります。北条氏家臣の大道寺氏が松井田城に入りますが、1590年、北条氏も豊臣秀吉に敗れ、松井田城は廃城となりました。
松井田城画像ギャラリー
登城口(駐車場)
画像の赤く示した箇所が駐車場がある大手道になります。バイパス側からも登城ルートがあるみたいですが、今回はこの大手道から本丸を目指します。
見学ルート画像参照:松井田城址保存会
駐車場に車を停めると、城への登場口に小屋があります。この小屋のところに説明や熊よけの缶が置いてあります。
松井田城堀切①
松井田城腰曲輪
最初の画像は堀切になります。画像では帯曲輪となってますが、地図で言うと腰曲輪になるかと思います。
松井田城堀切②
二つ目の堀切です。2つ目の堀切を超えると分岐の案内がありました。「水の手」が左、右に進むと「大手門・二の丸」とのことなので大手門・二の丸方面へ進みます。
松井田城横堀
分岐を右に進んでいくと「横堀」の札がありました。ルートの地図でたぶん「C」のあたりだったと思われます。シダに覆われてしまっているので写真では堀になっているのかわからないですね。
松井田城大手門跡
横堀を進みルートの地図で「D」の分岐を左の「大手門跡」の方へ進みます。
正直、全くどこがどのように門跡が残っているのか実際に行ってもわかりませんでした。草木を刈り取らないとわからないのかもしれません。
松井田城本丸
大手門跡を進むと「二の丸」左、右に進むと「本丸」の分岐になります。最後は左へ進み「本丸」に到着です!
松井田城本丸の周囲
もう少し巡りたい気持ちもあったのですが、山ヒルが靴に何匹もついていて心が萎えました。二の丸や水の手など回れてないところは冬の季節にでもまた来て巡ってみたいと思います。
松井田城情報
築 城 | 1262年 |
城 主 | 青砥氏、安中氏、小宮山氏、津田氏、大道寺氏 |
住 所 | 群馬県安中市松井田町高梨子 |
種 別 | 山城 |
廃 城 | 1590年 |
特 徴 | – |
入場料 | 無料 |
営業時間 | – |
駐車場 | 無料 |
松井田城へのアクセス
松井田城レビュー
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