三春城/舞鶴城(福島県)

三春城の感想

三春城は戦国武将田村氏の居城であり、築城されたのはいつだかわかっていません。
田村氏はその昔、蝦夷討伐軍で活躍した坂上田村麻呂が祖となりこの田村郡一帯を支配してきた一族とされています。

三春城は三春町の中心部にある標高400mぐらいの丘陵地に築かれた山城です。
本丸を中心に二の丸と三の丸が南西の尾根上にあって、中腹にはかつての家臣団の屋敷があったようです。石垣跡も残っておりなかなか魅力的な城ですが、行ってみて大発見!(冷静に考えれば田村氏なので当たり前ですが~)あの愛姫(めごひめ)の生誕の城でした!(〃艸〃)ムフッ
愛姫は伊達政宗の正室として数え12歳で嫁ぎ米沢城に移ります。その後、田村家の内通を疑われた愛姫の乳母や侍女たちを政宗に皆殺しにされ一時期政宗と険悪な関係になりますが、その後、夫婦関係は修復され、五郎八(いろは)姫(のちに松平忠輝の室)を始め、忠宗(二代目千代藩主)他二名の合計四名の子を出産しました。

その昔、大河ドラマで『伊達政宗』が放送されていた時、愛姫の役を少し色黒の後藤久美子さんが年少時の愛姫を演じており、子供心にすごくきれいな方だったと印象深く残っています。((´∀`*))

・・・・あれ?三春城の話より後藤久美子の話になっちゃった~大爆笑

三春城画像ギャラリー

三春城の入口です。とてもきれいに整備されていますねぇ~(o^―^o)
地元から愛されている感じがビンビン!伝わってきます!

とりあえず『三春城のありし日の姿』を想像しながら、本丸目指してレッツラゴォ~(* ´艸`)クスクス

途中、盛土・土塁・竪堀跡など見どころが満載(写真ではわかり辛い(´;ω;`)ウッ…)
途中、埋もれた石垣も発見できました♪

揚土門に到着!

山城独特のうねりが続きましたねぇ~♪ この辺が山城の醍醐味です!

あ!!!山に埋もれた石垣をまた発見しました♪(〃艸〃)ムフッ

続いて三の門です!

本丸に近づいているのがわかります

三階櫓跡
この辺に長屋跡が残されておりたくさんの家臣が詰所として使っていたのかもしれませんね

三春城下が見渡せます

三春城の眺め(動画)

【動画】三春城下です♪

三春城の案内看板と城の全体図です

さてさて・・・・いよいよ本丸に攻め込みます!

崩れていますが石垣跡が残ってますね・・・めちゃくちゃ嬉しい(〃艸〃)ムフッ

虎口〜本丸まで(動画)

【動画】虎口を抜け本丸に突入する動画です♪

小柄ながら石垣がしっかりと残ってて嬉しいばかりです!疲れが一気にぶっ飛びます!

よくよく調べてみたら、三春城は秋田氏の居城となっていたんですね!!!
秋田実季(あきたさねすえ)はその名の通り秋田県方面に勢力を持っていた一族(正確には陸奥など壮大な領土を有していた安東氏の流れ)で、関ケ原の戦いの際には東軍方につき乱世を乗り切ります。西軍に付いた佐竹氏との領土替え(佐竹氏は遠島、秋田氏は栄転)として常陸国宍戸に入国し大阪夏の陣にも参戦(惨敗だったみたいですが・・・苦笑)しますが、秋田実季の気骨が横溢していることが幕府の忌み嫌うところとなり、伊勢朝熊に国替えさせられたのち息子の秋田俊季(あきたすえとし)の時に忠義が認められ陸奥三春(三春城?)に5万5,000石移封すると以後幕末まで同地で存続したみたいですね!

最後に・・・・愛姫の生誕の地を紹介しておきます(^▽^)/

三春城情報

築 城1504年
城 主田村氏、伊達氏、蒲生氏、加藤氏、松下氏、秋田氏
住 所福島県田村郡三春町大町
種 別山城
廃 城1871年
特 徴町指定史跡
続日本100名城※続日本100名城スタンプは三春町歴史民俗資料館にて押せます。
入場料無料
歴史民俗資料館は
一般・大学生:300円(団体 250円)
小・中・高校生, 障がい者手帳をお持ちの方:150円(団体 120円)
がかかります。
営業時間歴史民俗資料館
9:00〜16:30(入館は16:00まで)
休館日:月曜日(国民の祝日にあたる場合は開館)国民の祝日の翌日(土・日曜日にあたる場合は開館)年末年始
駐車場有り(無料)

三春城へのアクセス

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