三沢城 / 鴨倉城 / 亀嶽城の感想
1305年、三沢為仲(木曽義仲の孫)によって鴨倉山に築かれ、鴨倉城・亀嶽城と呼ばれていたようですね。三沢氏は上記に記載した通り、木曽義仲の流れを組む一族ととも云われたり、信濃国の源氏の流れを組む飯島氏の飯島城の城主だった飯島為光が1221年の承久の乱で武功を挙げ、出雲国三沢荘を与えられたため移り住んだとされてもいます。この三沢荘は良質な砂鉄を採ることが出来たためこの三沢荘に土着して三沢氏を名乗り、鉄の力を最大限に活用し出雲国内でも屈指の国人衆へと三沢氏は勢力を拡大したと思われます。
復活を果たした尼子経久の国内最大の敵は三沢氏だったため、尼子経久の謀略に対し三沢氏は攻められ降伏します。その後は尼子氏の傘下に納まり軍功を共にしたと云われています。尼子氏の家が荒れ経久の三男である興久が内乱を起こすと、三沢城の三沢為国は反尼子軍の興久軍に参戦し尼子経久に反抗します。結局は鎮圧されてしまい三沢為国は降ろされ弟の三沢為幸が三沢城の城主となります。この三沢為幸は1540年に行われた毛利氏討伐の『吉田郡山城の戦い』に尼子軍の一翼として参陣。吉田郡山城に籠る毛利軍2,400に対し尼子軍は30,000、その内尼子軍精鋭部隊の新宮党率いる10,000の軍勢で吉田郡山城に攻め込み三沢為幸もその軍の入っていましたが、智将毛利元就の軍配で尼子軍は敗北・・・三沢為幸は討死してしまいます(青山土取場の戦い) そのため三沢氏は三沢為幸から三沢為清(三沢為幸の息子)が継ぎます。
三沢城は標高418メートルの要害山を利用され築城した山城で、北に斐伊川が流れ南には阿井川が、東には三沢川が流れているため三方を天然の堀としています。三沢城の裏手には標高約200mの切り立った崖となっており、これまた天然の壁を活かした城となっています。三沢城の近くには三沢氏の家老布広氏の布広城があり複合式城塞としては、出雲国最大の城だったと思われます。
『尼子十旗』と云われる重要な城のひとつです!
三沢城 / 鴨倉城 / 亀嶽城画像ギャラリー
三沢城案内板


三沢城の案内板もありわかり易いですね!駐車場もあり大変助かりますね(o^―^o)ニコ





さぁぁぁぁ~三沢城攻め!開始です( `ー´)ノ 熊が出ませんように~(+_+)







両脇にどっしりとした土塁と正面に土塁と石垣が見えてきました!


大手門石垣


おおおおおおお! ちょっと興奮!いやいやだいぶん興奮!(∩´∀`)∩

本丸!二ノ丸!三ノ丸!に続くようですね~(`・ω・´)ゞ





二の丸
二ノ丸です!



土塁に囲まれていますねぇ~(●^o^●) いい感じ~♪







さてさて・・・進んでいきましょう♪


迷路石垣
迷路石垣だって!!!(^◇^)面白い! けど、やっぱり夏場の山城は草木に覆われててなかなか苦戦しますなぁ~苦笑




七曲り
次は『七曲り』です!ここは本丸に行ってから帰りに通ってみましょう!(^^)/




開けてきましたね!!!!




三沢城説明板
大きな曲輪に到着しました!?!?!?ヾ(≧▽≦)ノ~三沢城!!!!




本丸付近の構造物でもあったのですかね???





本丸城濠
本丸城濠(ほんまるじょうごう)です!






本丸
やった~いよいよ本丸に到着です!(*´▽`*)~♪


凄い見晴らしですね!!!!素晴らしい!!!









亀岩


亀岩と・・・・・ん????・・・・埋蔵金!??!??(◎_◎;)



建物の中には歴代の三沢氏暦が(∩´∀`)∩





見どころ沢山ですね~(≧◇≦)





諏訪社壇・古井戸



鳥居丸
鳥居丸!!!!



鳥居丸城濠
鳥居丸城濠(とりいまるじょうごう)






なかなか充実の三沢城です(。◕ˇдˇ◕。)/ 多くの人に行ってもらいたいですね!
戻りは『七曲り』から降ってみました!( `ー´)ノ


















三沢城情報
築 城 | 1305年 |
城 主 | 三沢氏 |
住 所 | 島根県仁多郡奥出雲町三沢 |
種 別 | 山城 |
廃 城 | 1589年 |
特 徴 | 県指定史跡 |
入場料 | 無料 |
営業時間 | – |
駐車場 | 有り(無料) |
三沢城へのアクセス
三沢城レビュー
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